変化し続けるジュビロ磐田・大津祐樹の経歴・プレースタイルを解説

2021年新天地ジュビロ磐田で新たなチャレンジをする大津祐樹。幼少期は体格のハンデを埋めるため、ドリブルの技術をフットサル中心に磨いた。その練習が功を奏し、今でも足元の技術の高さは健在だ。柏レイソルに加入後は、FW選手に相次ぐ離脱により、すぐにスタメンに選ばれた。時折怪我で離脱を見せるも、一貫してチームを第一に考え、常に新たなチャレンジをしている。キャリア中にプレースタイルが変化した選手でもあり、その背景にも今の自分がチームに対してできることは何かと模索し続ける大津の献身性がある。そんな大津祐樹の魅力について徹底解説。

大津祐樹のプロフィール

生年月日 1990年3月24日
国籍 日本
出身 茨城県水戸市
身長 180㎝
体重 73㎏
利き足
ポジション FW・MF
背番号 ジュビロ磐田:4
タイトル ・柏レイソル
Jリーグ ディヴィジョン2 : 2010年
・横浜F・マリノス
J1リーグ : 2019年
SNSアカウント Twitter:https://twitter.com/yukiotsu23?s=20
Instagram:https://www.instagram.com/o2yuki/?hl=ja

現在J1のジュビロ磐田で活躍中のFW大津祐樹は、プライベートも順風満帆な日々を送っている。中でも大津の奥様である久冨慶子さんは、美人すぎるサッカー選手の奥さんとして紹介されるほどの美貌の持ち主だ。普段はテレビ朝日のアナウンサーとして活躍している久冨慶子さんはやべっちFCやくりぃむクイズミラクル9といった人気番組の司会も務めている。先月の2月11日には待望の第一子が誕生。自身のインスタグラムで幸せな近況報告をしていた。

大津祐樹の経歴

幼少期の大津はユースに所属できず、大学進学も視野に入れていた。そんな大津に訪れたあるチャンスが大津の人生を大きく変えることになる。そんな知られざる大津の経歴を幼少期からご紹介。

-幼少期・プロ入り前-

幼少の頃、大津は兄に影響され小学3年生の時にサッカーを始めた。当時は地元のサッカークラブである新荘常盤SSSでプレー。その後は鹿島アントラーズのジュニアユースチームや、マルバフットサルスクール水戸に平行し通い、フットサルならではの足元の技術を重点的に磨いた。当時の大津は非常に小柄だったため、足元のテクニックを磨くことで、体格のハンディギャップを埋めようとしていた。しかし鹿島のユースへ昇格することは出来ず、東京の成立学園高校へ進学。そこでもサッカーを続けた。

だがそんな大津に転機が訪れる。成立学園と柏レイソルの行った練習試合で、大津のプレーが試合を見に来ていた当時のスカウト鈴木康仁の目に止まる。それ以来熱烈なアプローチを大津に送り、2008年、そのアプローチに答え柏レイソルに加入する。

-柏レイソルに加入後いきなりスタメンに-

2008年柏レイソルに加入した大津は当時のFW陣の相次ぐ離脱により、プレシーズンマッチのちばぎんカップでいきなり先発に選ばれた。フランサや北嶋秀郎は負傷、李忠成は日本代表の招集によりチームを離れた影響で、高卒ルーキーが異例のスタメン入りを果たすことに。翌年からも大津はJ1の他クラブからのオファーを断り柏に残留。しかし負傷が続き思うようなプレーができなくなった大津は当時の指揮官ネルシーニョ監督の助言で、怪我と再発防止に専念することに。その後J1には2011年からレギュラーに復帰した。2008年から柏では通算66試合に出場、7得点をマークした。

-翌シーズンはブンデスリーガの舞台へ-

2011-2012シーズン、大津は柏レイソルからドイツ・ブンデスリーガのボルシア・メンヒェングラートバッハ(通称ボルシアMG)へと移籍した。4部のレギオナルリーガのリザーブチームでプレーした後、同年10月22日に行われTSG1899ホッフェンハイム戦の後半39分から途中出場、ブンデスリーガデビューを果たした。当時のボルシアMGにはマルコ・ロイスやファン・アランゴが在籍しておりなかなか出場機会が得られず、わずか3試合、計31分の出場の悔しさが残る1年となった。

-出場機会を求め、VVVフェンローへ移籍-

出場機会に恵まれなかったボルシアMGでの払拭を拭うため、大津は2012年8月、オランダ・エールディヴィジのVVVフェンローへ移籍。同年の9月15日にはNECナイメヘン戦で移籍後初出場を果たすと、翌月のフェイエノールト戦ではスターティングメンバーに選ばれ、その試合でアシストを記録。さらに12月9日のフィテッセ戦では移籍後初ゴールを決めた。昨シーズンの無念を見事晴らし、その年はリーグ戦22試合に出場。しかしチームはプレーオフで敗退し、5季ぶりに2部へ降格した。

続く2013-2014シーズンで大津は、12月15日のMVVマーストリヒト戦で右足アキレス腱断裂の重傷を負い、以降の全ての試合に出場できなくなってしまう。大津にもそしてチームにとっても大きな痛手となってしまった。焦らず治療に専念した結果、大津は翌シーズンからチームに復帰。実に250日ぶりの公式戦出場となった。

-そして古巣の柏レイソルへ復帰-

2014年12月12日、大津は古巣である柏レイソルへ復帰することが発表された。昨シーズン在籍していたVVVフェンローでは通算50試合に出場し、6ゴールの活躍を見せたが、チームが財政難に陥り移籍せざるを得なくなった。背番号はVVVフェンロでも着用していた10番に決定。

2015年は足の違和感に悩まされていたこともあり、キャンプから別メニュー調整が続いた。なんとかスターティングメンバーに復帰するも、第16節の名古屋グランパス戦で左膝後十字靭帯を損傷する大怪我を患い、思うようにいかない日々を経験した。しかし10月24日の清水エスパルス戦では日本復帰後初ゴールを決めている。

-古巣の柏レイソルを離れ、新天地横浜へ-

大津は2018年から横浜Fマリノスへ完全移籍。柏での活躍とは裏腹に、移籍後はベンチスタートが多かったが、裏でチームを支え2019年のリーグ優勝に大きく貢献した。在籍していた2018年からチームを離れる2020年までに、通算60試合に出場し、1得点をあげている。

また大津はマリノスがグッズを販売する際、チームカラーであるトリコロールがなかったことをサポーターから指摘されると、その声に応じ大津はグッズにトリコロールカラーを入れることに決定。ピッチ外でもファンの心を掴むことに成功している。

-代表に選出された大津のゴールでスペイン代表を撃破-

大津は日本代表として各年代でプレーしてきた。2012年のトゥーロン国際大会やなどが代表的だ。また2013年のキリンチャレンジカップではA代表にも選ばれている。年齢制限のない国内最強チームの一員に選ばれることは非常に名誉あることだ。中でも印象的なのは、ロンドン五輪に向けて大津が選出されたことではないだろうか。

2012年12月2日に代表に選ばれた大津は、ロンドン五輪一次リーグの初戦でスペインと激突。競合スペインとの決戦は熾烈で、大会屈指の名選手を選出したスペインは、今まで以上に完成されていた。序盤からボールを支配したスペインに日本は激しいプレスをかけ続けた。迎えた前半34分、扇原貴宏のコーナーキックを大津が合わせ見事1得点をマーク。その後は大津の1点を最後まで守り切り、強豪スペインに勝利した。

大津祐樹のプレースタイル・特徴

海外サッカーを経験し、古巣柏レイソルに復帰しチームの勝利に大きく貢献した大津祐樹。そんな彼の特徴を4つのポイントから徹底解説。

-巧みなドリブルで相手DFを翻弄-

大津の最大の持ち味はその巧みなドリブルだろう。幼少期はフットサルに通っていたこともあって、そのドリブル技術は非常にキレがある。また2013年のインタビューでは「ゴール前に行くために、さらなるドリブルの練習が必要」と語っている。柏時代からドリブルには定評があったものの、いまひとつ結果を残せないでいた。インタビュー後に柏レイソルへの復帰が決まったが、宣言通り彼のドリブルはさらに磨きがかかっており、チームの勝利に何度も貢献した。

-相手守備陣を置き去りにする驚異的なスピード-

大津はスピードにも定評がある。その高いドリブル技術と相まってこれまで数多のDFを抜き去ってきた。一度トップスピードに乗ってしまうと相手はなかなかついて来られない。大津自身、体格的に肉体のハンデがあるため高身長のプレイヤー相手に、その不自由さを痛感させられたものの、そのハンディキャップは幼少の頃から健在のスピードとドリブル技術で克服している。

-前線からのプレスで相手の自由を奪う-

大津がFWとしてプレーする際は、その前線からのプレスによって一気に守備がしやすくなり、うまくいけばカウンターも期待できる。その秘密はやはりスピードだ。大津の特出したスピードでプレッシングされた相手は時間と自由を奪われ、短い時間の中で最善の選択を迫られる。さらに焦った相手の隙やミスを逃さなければ、一瞬のうちにカウンターに移行でき、そのまま有利に攻撃へと転じることが可能になる。

-体格の差を感じさせない対人能力の高さ-

日本だけでなく海外で通用する選手になるには、フィジカルの強化はもはや必須である。ドリブルとスピードである程度はカバーできるものの、海外サッカーともなると話は別だ。ドイツやオランドといった海外の舞台を経験してきた大津は「しっかりとフィジカルの強化をすれば海外の選手に当たられてもブレない」と自身の経験を元に話しており、プロに入った直後からの体感トレーニングやオフの自主トレで体づくりに励んでいた。そのトレーニングが功を奏し、今では当たり負けも少ない俊敏FWへと成長している。

-メンタルの変化がプレースタイルを大きく変えた-

大津は長いキャリアの中でのいつもアタッカーとして活躍していた。だが2018年9月1日に行われた第25節柏レイソル戦で彼に転機が訪れる。山中亮輔の交代により急遽大津はインサイドハーフとしての位置でプレーすることに。その試合大津はひたすらボールを追いかけ何度も何度もプレッシングを行なった。

また大津は「守備から入っていければ、チームが前に進める。今日のゴールはおまけのようなものだ」と得点より守備や試合運びに焦点を当てたコメントを残している。この変貌ぶりにはメンタルの変化が関係している。

「これまで7:3くらいで攻撃に比重を置いていたが、今は6:4くらいで守備に力を入れていて、新しいスタイルではあるがプレーしていて楽しい」これは同月29日のベガルタ仙台戦の前日のコメントだ。まさに彼のメンタルが大きく変わったことを表す1文だ。大津はキャリア中、FWだけでなく中盤から試合を組み立てる選手へと昇華した。

大津祐樹の今後について

大津はチームのために常にチャレンジする精神を兼ね備えている。横浜Fマリノス時代にはいつもどうすればチームに貢献できるかを念頭に置き、プレーしてきた。そんなチャレンジャー大津の今後について考察していく。

横浜Fマリノスでの今後の活躍

先述の柏レイソル戦から自身のプレースタイルを変更し、中盤へと転向した大津祐樹からは、チームの勝利のために何度もチャレンジする姿が見て取れる。今後は横浜Fマリノスを支える中盤選手として、攻守ともにチームに貢献してくれるだろう。だがアタッカーとしての大津祐樹が完全に消え去ったわけではない。これからはFW,MFともに大津がどのような結果を残すかが楽しみだ。

日本代表について

大津は2013年のキリンチャレンジカップ以来、代表に選出されていない。またその年が最後のA代表招集だった。ロンドン五輪の一次リーグで戦ったスペイン戦での劇的ゴールを筆頭に、数々のパフォーマンスで我々を興奮させてくれた。また大津が国を背負って戦うシーンを見たいが、年齢的にも残されたチャンスはわずかしかない。果たして大津は再起を図り、再びA代表選出に漕ぎ着けられるか。

移籍などの情報について

大津は2021年1月15日に横浜Fマリノスに別れを告げ、ジュビロ磐田でプレーすることを発表。2018-2019シーズンこそ通算48試合に出場し、2得点をあげる活躍を見せたが、昨シーズンは出場機会に恵まれず、わずか12試合にとどまった。大津はこのまま引退も考えていたようだが、ジュビロ磐田からの正式なオファーを受け、2021年のビジョンや覚悟を再確認した。チームのために自分を変えることに躊躇がない大津には”チャレンジャー”という言葉がよく似合う。新天地ジュビロ磐田ではどのように変貌し、どんなプレーを見せてくれるのか。期待が高まる。