史上最高の芸術家アンドレス・イニエスタのプレースタイルを徹底解説

グアルディオラ率いる、バルセロナにおいて黄金期を築き上げた、アンドレス・イニエスタ。魔法のような華麗なターンや、インテリジェンス溢れるプレーで、「芸術家」と呼ばれ、バルサファンのみならず、世界中のフットボールファンを、今なお、魅了し続けています。この記事では、彼の生い立ちから現在に至るまで。そしてプライベートの部分や、プレースタイルにも、幅広く解説していきたいと思います。Jリーグでプレーしているのが、いまだに信じれれないイニエスタ選手ですが、この記事でもう一度彼の魅力を再確認してみてはいかがでしょうか?

アンドレス・イニエスタのプロフィール

生年月日 1984年5月11日
国籍 スペイン
出身 カステリーリャ・ラ・マンチャ州 アルバセテ県 フエンテアルビージャ
身長 170㎝
体重 68㎏
利き足
ポジション MF
背番号 【所属クラブ】
FCバルセロナ 2002~2003年 「38」
FCバルセロナ 2003~2007年 「24」
FCバルセロナ 2007~2018年 「8」
ヴィッセル神戸 2018年~   「8」
【スペイン代表】
2001年 U-17ワールドカップ 「8」
2002年 U-19欧州選手権   「8」
2003年 U-20ワールドカップ 「8」
2006年 ドイツW杯     「13」
2008年 ユーロ       「6」
2010年 ワールドカップ   「6」
2012年 ユーロ       「6」
2013年 コンフェデレーションズ杯「6」
2014年 ワールドカップ   「6」
2016年 ユーロ       「6」
2018年 ワールドカップ   「6」
タイトル FCバルセロナ
・リーガエスパニョーラ:9回(2004-05,2005-06,2008-09,2009-10,2010-11,2012-13,2014-15,2015-16,2017-18)
・スーペルコパ・デ・エスパーニャ:8回(2005,2006,2009,2010,2011,2013,2016)
・UEFAチャンピオンズリーグ:4回(2005-06,2008-09,2010-11,2014-12)
・コパ・デル・レイ:6回(2008-09,2011-12,2014-15,2015-16,2016-17,2017-18)
・UEFAスーパーカップ:3回(2009,2011,2015)
・FIFAクラブワールドカップ:3回(2009,2011,2015)
・ヴィッセル神戸(Jリーグ)
天皇杯JFA 全日本サッカー選手権:1回(2019)
・FUJI XEROX  SUPER CUP:1回(2020)
スペイン代表
U-16スペイン代表
・UEFA U-16欧州選手権:1回(2001)
U-19スペイン代表
・UEFA U-19欧州選手権:1回(2002)
スペインA代表
・UEFA欧州選手権:2回
2008年(オーストリア・スイス共同開催),2012年(ポーランド・ウクライナ共同開催)
・FIFAワールドカップ:1回(2010年南アフリカW杯)個人
・UEFA欧州選手権ベストイレブン:2回(2008年,2012年)
・UEFA欧州最優秀選手賞:1回(2012年)
・UEFA欧州選手権大会最優秀選手:1回(2012年)
・UEFA欧州選手権ファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回(2012年)
・UEFAチャンピオンズリーグベストプレーヤー:1回(2011-12)
・UEFAチャンピオンズリーグ・ファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回(2015)
・バロンドール(2009年 4位)
・FIFAバロンドール(2010年-2位,2011年-4位,2012年-3位)
・オンズドール:1回(2009年)
・リーガエスパニョーラ 最優秀選手MF:5回(2009,2011,2012,2013,2014)
・Marca Legend  Award :1回(2011年)
FIFAコンフェデレーションズカップ ブラジル 2013 シルバーボール:1回(2013年)
・FIFA プスカシュ賞(2009年 2位)
・FIFAワールドカップベストイレブン:1回(2010年 南アフリカ)
・FIFAワールドカップ ファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回(2010年 南アフリカ)
・FIFA FIFPro World Xl:9回(2009,2010,2011,2012,2013,2014,2015,2016,2017)
・UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回(2014-15)
・UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:6回(2009,2010,2011,2012,2015,2016)
・ESMベストイレブン:1回(2010-11)
・ゴールデンフット賞:1回(2014年)
・FIFAクラブワールドカップ2015ブロンズボール:1回(2015年 日本)
・Jリーグ・ベストゴール賞:1回(2018年 8月)
・Jリーグ・優秀選手賞:1回(2019年)
・Jリーグ・ベストイレブン:1回(2019年)
・プリンス・オブ・アストゥリアス・アワード:1回(2010年)
・Gold Medal of the Royal Order Sporting Merit:1回(2011)
SNSアカウント インスタグラム https://www.instagram.com/andresiniesta8/?hl=ja
イニエスタ Twitter https://twitter.com/andresiniesta8
アンナ・オーティズ インスタグラム https://www.instagram.com/annaortiz34/?hl=ja

アンドレス・イニエスタの経歴

幼少期、プロ入り前

イニエスタ選手はスペインのアルバセテ県フエンテアルビージャという、小さな村で生まれました。

家族構成は、両親と三人兄弟の真ん中に生まれ、兄と妹がいます。

6歳の頃には、日本の人気マンガ「キャプテン翼」を見てから、学校に通うのが日課となっていました。

キャリアのほぼ全てを、バルセロナでプレーしたイニエスタ選手ですが、実は生まれ故郷はバルサのライバルチームでもある、マドリードに近いのです。

その為、幼少期はレアルマドリードのファンだったと、自ら語っています。

また、後に所属する事になるクラブチーム「アルバセテ」の時、バルセロナと戦い7-0で負け、大泣きした事から、バルセロナに対してはいい印象は持ってなかったみたいですね。

サッカー好きの父親の影響もあって、小さい時からボールを蹴り始めていたイニエスタ選手は8歳の時、地域最大のクラブ「アルバセテ」に入団します。

しかし、体が小さく、線が細いイニエスタ選手は、周りの人たちから、「フットボールは無理だ」と言われていたそうですが、イニエスタ選手には、幼少期よりボールコントロールや、相手とボールの間に体を滑り込ませるスクリーン技術が、他の同年代の子より突出して上手かったそうです。

入団テストを受けてに合格してとの事だが、クラブの入団条件が「9歳以上」が義務付けられているのにも関わらず合格したのは、この時からすでに才能の片りんを発揮していたのかもしれません。

「アルバセテ」入団後、両親や祖父のサポートもあって、メキメキと頭角を表していきます。

12歳の時に、マドリッド近郊で行われた、7人制サッカーの大会に出場し、前評判が低かった、「アルバセテ」を率い、デポルティボ、ベティス、レアルマドリードなどの強豪を次々と倒し、大会MVPにも選出されるなど、一気に全国のクラブから注目される存在になるのです。

もちろん、イニエスタ選手のもとには色んなクラブからの誘いがありました。

中でも、熱心に誘ってくれたのが、イニエスタ選手が大ファンでもある「レアル・マドリード」でした。

イニエスタ選手が住んでいる、「アルバセテ」に程よい距離であり、ホームシックにならずに済むうえに、両親が近くにいるのはメリットではないかと、諭されます。

当初はイニエスタ選手のレアルマドリードへの移籍に前向きでしたが、結果的には断る事となりバルセロナ入団を決意します。

というのも、バルセロナはポルトアベントゥーラ(テーマパーク)や、実際にバルセロナまで招き、ラ・マシア(バルサ育成部門の寮)や練習場を見せるなど、熱の入れ方が他のクラブチームより強く感じられたそうです。

イニエスタ選手本人も「バルセロナでプレーしたい」と思うようになり、バルセロナ入団を決めましたが、人見知りで恥ずかしがり屋のイニエスタ選手にとって、一人故郷を離れ、バルセロナという大都会で暮らすというのは、とても辛い日々だったようです。

小ネタですが、当時所属してた「アルバセテ」も、サッカー環境は当然ながら、交通費、生活費など、サッカーをしていく上で必要な費用の負担はもちろん、将来はプロ契約を見据えて、選手と認めた上での給与も支払う契約を持ちかけたそうです。

結局は、バルセロナ行きを決めたイニエスタ選手ですが、当時12歳の少年に、ここまで凄い待遇を示してくれるなんて凄い事ですよね。

さて、13歳となり、親元を離れ「ラ・マシア」での新生活が始まったイニエスタ選手ですが、最初は母親の声を聞くと泣き出してしまうため、電話できなかったり、本気で帰りたいと願ったりと極度のホームシックにかかりました。

当時の寮長いわく毎日22時になると「ラ・マシア」のあらゆる場所で泣いている少年がいたと当時を振り返っています。

また、アルバセテから来た天才少年の噂を聞きつけ、取材に来た記者達がバルサ関係者から「両親の話はタブーだ。泣き出すぞ」と言って警告するくらいだったらしいので、イニエスタ選手のホームシックは相当なモノだったのでしょう。

しかし、当時の「ラ・マシア」にはプジョル、ビクトル・バルデスなどがおり、常にイニエスタ選手を気にかけてくれたそうです。

その後、ピケ、セスク・ファブレガス、メッシなど、後のバルサ黄金期を築くメンバー達が、続々と「ラ・マシア」に加わる事になるのです。

私生活では大変だったイニエスタ選手ですが、サッカー面においては順調そのものでした。

誰よりも、秀でた才能を持っていたイニエスタ選手は、そのプレーでチームメイトを感服させると、たちまちチームの中心選手となり、監督からも、バルサが伝統的な番号と位置付けている「4番」を与えられ、パサーの役割からゲームの指揮の全てを任されるまでに成長します。

そして1999年、14歳になったイニエスタ選手は、U-15の一員として、「ナイキ・プレミア・カップ」に参戦し、決勝で決勝点を挙げ大会MVPに選ばれ、チームにもタイトルをもたらす活躍を見せます。

当時、この大会を観戦していたグアルディオラが横にいたシャビに向かって「じきにお前は俺を引退に追い込むかもしれないが、イニエスタは俺たち二人を引退に追い込むかも知れないぞ」と預言とも思わせるセリフを語っています。

そして、イニエスタ選手は2000年にバルセロナBに昇格する事になります。

バルセロナB

バルセロナBに昇格したイニエスタ選手でしたが、実はバルセロナBでの活動はそこまで多くはありませんでした。

というのも、イニエスタ選手の才能はトップチームにまで知れ渡っており、若干16歳の少年が、籍はバルセロナBに置きながらもトップチームの練習に参加するという光景が当たり前になっていたのです。

しかし、16歳のイニエスタ選手のプレーは、当時バルセロナに所属していた選手が舌を巻くほどの技術だったようです。

あのロナウジーニョ選手も「あの子は上手い、あの子。イニエスタって子だよ」

と取材に来ていた記者に語っています。

そして、イニエスタ選手がトップチームの練習に初めて参加した日、当時のバルセロナのキャプテンであるグアルディオラはチームメイトを集め、「みんな、今日という日をいつか思い出すことになるだろう。アンドレス・イニエスタが初めて俺たちの所へ練習に来た記念すべき日として」と公言しています。

後に名将とも言われるグアルディオラにここまで言わせるほど、イニエスタ選手の実力は、凄まじいものだったのでしょう。

そして彼のキャリアにおいて追い風になったのは、トップチームにルイス・ファン・ファール監督が就任したことではないでしょうか。

若手を好み、実力があれば若手でも起用するこのオランダ人指揮官は、イニエスタ選手のプレーを目の当たりにし、積極的に起用する事になります。

イニエスタ選手は2002年10月には若干18歳で、チャンピオンズリーグにて初めてトップチームのデビューを飾り、1ヶ月後のマジョルカ戦では待望のリーガデビューも飾っています。

ちなみにイニエスタ選手デビュー時の背番号は「34」です。

「6」か「8」の背番号が印象的なイニエスタ選手ですが、リーガエスパニョーラでは、トップチームには1~25番までしか割り振ってはいけないというルールが存在します。

トップチーム合流時には、すでに25番まで割り振られていた事から、Bチームに籍を置いている選手に限っては26番以降の背番号の使用が認められる為、「34」という背番号になりました。

このシーズンは5試合の出場に留まりますが、あのアルゼンチン代表リケルメ選手を、ベンチに追いやる場面もあるほど、イニエスタ選手の評価は日に日に増していく事となったのです。

バルサ入団から、トップチームデビューまでを振り返ってきましたが、実はバルセロナというクラブで、トップチームデビューするという事はとても難しい事なのです。

なぜなら、12歳がメインのインファンティルAら20代の選手が中心のバルセロナBまでの8つもあるカテゴリー存在します。

順調にステップアップしても6年はかかると言われてますが、イニエスタ選手は4年という短い月日でクリアしている事から、当時のイニエスタ選手の規格外ぶりが伺えます。

バルサ入団当初は、慣れない環境に戸惑いましたが、人間にとって一番難しい時期ともいえる思春期を、「ラ・マシア」で過ごし、困難を乗り越えたことで、人としても、フットボーラーとしても、一回り成長出来たのは間違いないでしょう。

そして、イニエスタ選手は、フットボールファンなら誰しもが熱狂した、あのバルセロナの黄金期を築きあげていくのです。

バルセロナ

イニエスタ選手と言えば、当然バルセロナのイメージが強いサッカー選手です。

また、同じくバルセロナに所属しているメッシもバルセロナを象徴する選手ですよね。

ここでは、イニエスタ選手のバルセロナ時代を振り返ると共に、メッシとの関係性につても、触れていきたいと思います。

2003-04シーズン。

ライカールト政権一年目。

正式にトップチームに昇格し、バルセロナの一員となったイニエスタ選手。

二種登録されていたバルサB時代の番号「34」から、「24」番へと変更されます。

実は、イニエスタ選手が背番号「8」を背負うのは、2007-08シーズンからとなります。

というのも、当時のバルセロナの8番は、元オランダ代表コクーや、元フランス代表のリュドヴィク・ジュリなどの実力者がつけており、イニエスタ選手がつけ入るスキが無かったのです。

もちろん、イニエスタ選手もそれらの選手に負けず劣らずの実力の持ち主でしたが、当時18.19の若者に、背番号の主張が出来なかったと思われます。

このシーズンはバルサ中心選手であるロナウジーニョの控えという立ち位置でしたが、11試合に出場し、2004年4月10日(ラ・リーガ第32節)のバジャドリッド戦で、ルイス・エンリケのラストパスからイニエスタ選手のラ・リーガ初得点が生まれたシーズンでもありました。

2020年4月10日にラ・リーガの公式Twitterがイニエスタ選手の初ゴールの映像を投稿し、歓喜したファンから「魔法だ」「全てはここから始まった」「君が世界一のチームにしてくれた」などと、お祝いや、イニエスタ選手に対してのリスペクト溢れるメッセージが次々と寄せられました。

また、イニエスタ選手自身も、自身のTwitterで「パスをくれた、シャビ、ルイス・エンリケありがとう!なんて贅沢なんだ!」と、興奮気味に綴っています。

やはり、どんな選手にとっても初ゴール特別なものですよね。

以外かも知れませんが、今でこそラ・リーガ1位の座をレアルマドリードと争うくらい実力が他のクラブチームより突出してますが、実は2000年代に入り4~6位と低迷していた時代がありました。

そして、それはイニエスタ選手加入後から、バルセロナはかつての勢いを取り戻していく事となります。

ライカールト政権2年目となる2004-05シーズンは、バルサにとっても変革の年だったとも言えます。

改革2年目を迎えたライカールトはロナウジーニョを核としたチーム作りの為、前政権時に獲得した選手をほぼ全て放出します、

ラーション、サミュエル・エトーなど新たな選手が加わり、入れ替えが多く行われたバルセロナでしたが、ライカールト政権1年目を経験したイニエスタ選手は、序列がそこまで下がらず、徐々に出場機会を増やしていき37試合2得点という成績を残しました。

当時のバルサには、ロナウジーニョ、デコ、シャビ・エルナンデスといった歴戦の強者が在籍してましたが、出場した試合では圧倒的な存在感を見せつけ、レギュラー定着までには至りませんでしたが、バルサの選手としての地位を少しづつ固めていきます。

また、自身初となるリーガ初優勝を経験し、バルサにとっても6年ぶりのタイトル奪還に成功したシーズンでした。

ライカールト政権3年目を迎えた2005-06シーズン。

シーズン序盤こそは、昨年と同じく途中出場での起用が多かったものの、2005年12月にシャビが長期離脱した事をきっかけに、スタメンに定着していくこととなります。

スター選手揃いのチームにおいても、卓越したボールコントロールと、超非凡なパスセンスなど、格の違いを徐々に見せ、イニエスタ選手はバルセロナのラ・リーガ連覇とUEFAチャンピオンズリーグ優勝(ドブレーテ:ダブル)を経験します。

ロナウジーニョやエトーなど、豪華な攻撃陣に目が奪われがちなバルセロナでしたが、タイトル獲得の影のキーマンとして、活躍していたイニエスタ選手も、チームにとって欠かせない存在になっていました。

このシーズンは全49試合に出場し、充実したシーズンで終わる予定でしたが、UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦で、スタメン落ちという屈辱を味わってます。

シーズン後半から、ポジションを確立させ、常にスタメンに名を連ねていたイニエスタ選手にとって、苦い思い出の1つではないでしょうか。

ただ、この試合では、イニエスタ選手のパスがチームの同点弾を生む起点となっており、CL制覇に貢献しますが、この出来事によりイニエスタ選手とライカールト監督との関係は冷え切ったものとなります。

ライカールト政権3年目の2006-07シーズン。

主に、中盤の真ん中ででの起用が多かったイニエスタ選手ですが、ロナウジーニョのケガによる離脱の為、ウイングでプレーするなどゴールにより近いポジションでの起用が目立つようになります。

実は、今でこそゲームを組み立てたり、長短のパスを織り交ぜながらテンポよく回し攻撃のリズムを作り出す役割のイニエスタ選手ですが、ライカールト政権では、トップ下、もしくはサイドでの起用が大半を占めてました。

また途中起用により、試合の流れを変える「スーパーサブ」から、試合終盤投入により「クローザー」の役割など、「便利屋」としての顔も見せています。

もちろん、それらはイニエスタ選手の技術が高い事を示しており、中盤からトップ下までこなすユーティリティさを評価されての事でしたが、今のイニエスタ選手とは別人とも言っていいくらいのプレーヤーでした。

このシーズンは37試合出場の6得点と、バルサ加入以来最多得点を記録します。

しかし、スーペルコパは制したものの、チームはリーグ戦2位という結果でシーズンを終える事となります。

この時期から、イニエスタ選手の周辺が騒がしくなり、国内問わず国外からもオファーが舞い込みます。

宿敵レアルも6000万ユーロでイニエスタ選手の獲得を狙っていると噂されましたが「バルセロナでキャリアを終える」と発言し、この噂を一蹴してます。

ちなみに、イニエスタ選手はバルセロナ退団決定後、レアル・マドリードに関心を持たれていた事を明かしています。

ライバルチームでもあり、世界的なビッグクラブのレアル・マドリードに2度も関心を持たれるなんて、改めてイニエスタ選手の偉大さがわかりますよね。

さしずめ、レアル・マドリードからすると、「逃した魚は大きかった」というところでしょうか。

ライカールト政権最終年となった2007-08シーズン。

昨年、スペイン代表デビューを果たし、リュドヴィク・ジュリのローマに移籍した事もあり、ついにイニエスタ選手の代名詞である「8」番へと背番号が変更されました。

しかし、このシーズンのバルセロナはライカールト政権最期をいい形で終える事が出来ませんでした。

チームのエースであるロナウジーニョが連日連夜行い、チーム練習に参加できる状態が続き、メディアからも「ピッチにいるより、ディスコにいる方が長い」などとバッシングを受けました。

また、昨年からのFWのサミュエル・エトーとライカールトの確執が表面化するようになり、バルサ得意の内部抗争が明るみになり始め、選手の自主管理を理想としていた、ライカールト政権は崩壊の道を進むこととなります。

このシーズンのバルサは無冠で終わり、次期監督にグアルディオラが就任する事が、発表されました。

イニエスタ選手も、混沌としたチーム状況の中で終始安定したプレーを見せ、31試合3得点という結果に終わってますが、本来の持ち味を忘れそうになったと語るくらいですから、モチベーションやコンディションを保つのが難しいシーズンだったとも言えます。

心機一転、背番号「8」を背負ったイニエスタ選手の1年目は厳しい船出となりました。

2008-09シーズン グアルディオラ政権1年目。

バルセロナ黄金期の始まりのシーズンであり、おそらくみなさんが一番バルサのサッカーに酔いしれた時代では無いでしょうか?

自主管理を信条としていたライカールトとは正反対の、規律性を重んじるグアルディオラの就任により、この年もバルサは大改革を行います。

グアルディオラは監督しての、最初の記者会見で、エトー、ロナウジーニョ、デコ、の3名に関しては放出の意思があると発言します。

チームとしての団結を最優先するグアルディオラにとって、個人プレーに走りがちなエゴが強い選手や、1人のスターの為に他の10人が犠牲になるようなサッカーを望まず、チームプレーを重視する戦術において、混乱を招きかねない反乱分子をここぞとばかりにチームから放出します。

2008-09シーズンは結局エトーが残留しますが、その後エトーとズラタン・イブラヒモヴィッチのトレードにより、イブラヒモヴィッチはバルサに加入しますが、1年で退団しています。

個の主張が強い、エトーやイブラヒモヴィッチは、自分以外の他の10人が自分の為にプレーしてから、初めて能力を発揮できる選手です。

グアルディオラが求めるチーム象に適してないのは明らかで、その後、自分の主張が通りやすいクラブに活躍の場を移すことになります。

しかし、グアルディオラの帰還より、イニエスタ選手には大きな転機を迎える事となります。

イニエスタ選手の特徴を良く知るグアルディオラ監督は、トップチームにバルセロナ伝統のパスサッカー(ティキタカ)を植え付け、4-3-3の中盤の一角にイニエスタ選手を配置し、シャビ、イニエスタ、ヤヤ・トゥーレ(後にブスケツ)の3人を起用し、これがチームに好循環をもたらします。

持ち前の戦術眼と圧倒的なボールコントロールを武器を持つイニエスタ選手とシャビが中心となり、中盤を支配し、ボール支配率が80%以上達成した試合もあり、前線で孤立しがちだった、メッシのサポート役にティエリ・アンリを配置、D・アウベスの加入により、攻撃に厚みをもたらしました。

新生バルサは「ポゼッション」「サイド攻撃」を中心としたサッカーを展開し、開幕こそは黒星スタートだったものの、その後、引き分けを挟んで19連勝を飾ります。

その結果、バルセロナは(27勝6分5敗 105得点 35失点)でリーガ優勝を果たします。

その後も快進撃は留まらず、国王杯、欧州チャンピオンズリーグでも優勝し、スペイン史上初の「3冠」という偉業を成し遂げます。

またイニエスタ選手も、要所要所でケガによる離脱はあったもの、26試合4得点と、チームの3冠獲得に大きく貢献し、チャンピオンズリーグ 2ndレグ スタンフォードブリッジ行われた、チェルシー戦でのロスタイムに決めた同点弾は「イニエスタッソ」と呼ばれ、現在でもバルセロニスタの心に深く刻まれています。

現在マンチェスターシティで指揮を執るグアルディオラは当時のバルセロナについて、「イニエスタ無くして、バルセロナのここまでの成功はあり得なかっただろう。彼のおかげで私はフットボールを、より理解出来たし、彼には感謝している」と述べています。

また、イニエスタ選手も「彼は全てを変えてくれた、僕たちに道を示してくれた、とても感謝している」と語っています。

監督と選手という立場が違う存在でしたが、お互いをリスペクトしあうなど、良好な関係が築けたみたいですね

グアルディオラ政権後のバルサは2020年までに、8度のリーグ優勝を果たし、2015年には、10年単位で最も多くのタイトルを獲得したクラブになるなど、欧州サッカーの盟主としての地位を確固たるものとします。

その後のバルセロナですが、グアルディオラから、ティト・ビラノバ、ヘラルド・マルティノ、ルイス・エンリケ、エルネスト・バルベルデ、と指揮官は変わりますが、グアルディオラがバルセロナに落とし込んだ「ティキタカ」は、バルセロナを象徴する言葉となり、世界のサッカー史を塗り替える程のインパクトがあったと言えるでしょう。

そして、このバルサの一時代を築いたメンバーの中心にいたのが、イニエスタ選手を含む「ラ・マシア」の選手達でした。

特に、イニエスタ選手とメッシはお互いの事を「世界最高の選手」と讃えています。

その理由の1つとして、イニエスタ選手からのアシスト数が、多い事が挙げられます。

2019年度にスペイン紙「マルカ」は、メッシに対してアシストした名手たちを紹介しました。

1位は5年にわたり、2トップを組んできたルイス・スアレスの46アシストでしたが、2位にイニエスタ選手の44アシストはランクインしています。

イニエスタ選手の、バルセロナでの成績が442試合35ゴール179アシスト(代表含む)となっており、総アシスト数の4分の1はメッシへのアシストだった訳ですね。

また、二人にはある共通点がありました。

実は、同じ相手に同じ場所で、チームが劣勢の中、窮地を救うゴールを決めています。

2008-09でのCLチェルシー戦でのゴール(イニエスタッソ)はメッシのアシストによるものでしたが、9年後の2018-19、再びスタンフォードブリッジでのアウェイ チェルシー戦ではイニエスタ選手がメッシへアシストしてます。どちらのゴールも次のラウンドへ進む決定打となったゴールであり、チェルシー相手に730分無得点だったメッシに初ゴールをお膳立てしています。

メッシとイニエスタのホットラインが垣間見えた瞬間でもあった訳ですね。

そして、2010年12月6日、世界年間最優秀選手賞「バロンドール」において、「ラ・マシア」出身のメッシ、イニエスタ、シャビの3名がファイナリストに選ばれます。

結果的にはメッシが22.65%のの投票を獲得しバロンドールに選ばれますが、2位のイニエスタ選手も17.36%の獲得票があった事から、その差はわずかなものでした。

あれから10年経ちますが、1チームから上位3人がファイナリストになった事は未だに無く、クレ「バルサファンの愛称」にとっての誇りであり続ける事に疑いの余地はないでしょう。

また、2012年度のバロンドールファイナリストにも、イニエスタ選手とメッシは選出されますが、メッシが4年連続でバロンドールで獲得しています。

受賞決定後のインタビューで、メッシは「アンドレス(イニエスタ)とトレーニングし、プレーすると共に、今日一緒に授賞式に出席出来た事を誇りに思います」と語っています。

「ラ・マシア」での出会いから、イニエスタ選手のバルセロナ退団まで、およそ20年間、毎日のように顔を合わせており、チームメイトでありながら兄弟のような存在でもあったイニエスタ選手。

あのメッシでさえ尊敬する選手だったのは間違いないでしょう。

ヴィッセル神戸

2018年5月24日 FCバルセロナから、アンドレス・イニエスタ選手のヴィッセル神戸加入が正式に発表されました。

では、ここではイニエスタ選手がヴィッセル神戸加入からタイトル獲得までを触れていきたいと思います。

近年のサッカー界では、毎年ヨーロッパリーグがオフシーズンになる5~8月は移籍報道が連日のようにネットや、新聞を騒がせています。

しかし、2018年に至ってはイニエスタ選手のヴィッセル神戸加入の報道が、一番世界を驚かせたのはないだろうか。

なにせ、世界的なプレーヤーであり、つい1ヶ月前まではバルセロナのユニフォームを着ていた選手ともあればなおさらですよね。

なぜ、彼はヴィッセル神戸への移籍を決断したのでしょうか?

これには、イニエスタ選手のバルサ愛と、楽天の三木谷社長の経営策略が関係しているようです。

バルセロナ在籍時、イニエスタ選手は年間800万ユーロ(10億円)でバルセロナと契約しています。

「少なくない?」と思うかも知れませんが、実はサッカー選手というのは移籍を繰り返して、年俸というのは極端に上がっていくものなのです。

もちろん、イニエスタ選手にはこれまで欧州のビッグクラブがバルセロナよりいい条件でオファー出してますが、これを全て断っています。

カンテラから現在に至るまで、自分を育ててくれたクラブに恩返しをする為に、お金よりも、クラブ愛を貫いた訳ですね。

しかし、キャリアの晩年を迎え、イニエスタ選手は「バルセロナでキャリアを終えたかったが、100%の力で貢献出来なくなった、自分には嘘は付きたくない」

と語り、バルセロナ退団が現実味を帯びていくわけです。

そして、移籍先を探して行くのですが、第一条件として「バルセロナと戦わなくていい地域」が条件となり、欧州外から沢山のオファーがありながら、日本のヴィッセル神戸を選びました。

まず、ヴィッセル神戸を選んだ理由としては、2017年より楽天がバルセロナとスポンサー契約を締結した事が、大きく関係してます。

契約内容は「4年契約」+1年延長付きで、年間5500万ユーロ(65億円)、5年となると日本円で350億円を超え、当時のバルセロナのスポンサーだったカタール空港の年間スポンサー契約料3500万ユーロ(40億円)を大きく上回る金額でした。

ちなみに、イタリア・セリエAに所属するユベントスで「JEEP」とのスポンサー契約で年間57億、イングランド・プレミアリーグに所属するマンチェスターユナイテッドで「シボレー」とのスポンサー金額は年間70億とも言われています。

世界的ビッグクラブのスポンサーともなると、これくらいの金額が基本にとなるみたいですね。

また、楽天の三木谷社長は、イニエスタ選手の同僚でもある、ジェラール・ピケとも仲が良く、ピケは三木谷社長の事を「ミッキー」と呼ぶほどの間柄です。

最近では、ピケと三木谷社長らが創設した会社が、スペイン5部リーグのクラブを購入して話題になりました。

私生活面でもビジネスパートナーとしても仲がいいピケが、ヴィッセル神戸へ後押ししたとも考えられますよね。

実際に、楽天の三木谷社長は、ピケの仲介によって、バルセロナとのスポンサー契約が実現している事から、以外とスムーズに移籍交渉は進んだのかも知れません。

そして、もう一つはサッカー大国ならではの問題も絡んでします。

バルセロナとレアルマドリードが対戦する「クラシコ」両チームのプライドをかけ繰り広げられる伝統の一戦として知られています。

しかし、モウリーニョ体制時のレアルマドリードとの対戦の時は、ライバル関係を超え、憎悪という面まで垣間見え、その影響はスペイン代表にまで及ぶ事となります。

スペイン代表では、バルサ所属の選手とレアル所属の選手の雰囲気は最悪で、思い出したくないものだ、ともインタビューで語っています。

また、2018年ロシアワールドカップ前に、スペインサッカー連盟よりジュレン・ロペテギ監督の解任、ワールドカップの早期敗退の事もあって、イニエスタ選手は戦犯の一人として国民から非難されます。

スペインサッカー連盟への不信感、スペインでの重圧など、サッカーを楽しめる環境が目に見えて崩れさっていたのでしょう。

ただ、それらの問題はイニエスタ選手だけに限らないとも言えます。

なぜなら、元名古屋グランパスの監督であり、イングランド・プレミアリーグのアーセナルで長期政権を築いたアーセン・ヴェンゲルも、フランスサッカー連盟や、フランスリーグの運営方法に不信感を抱き、日本を選択しています。

「日本での日々は欧州のサッカー界に蔓延していた、暴力さや残忍さが日常の日々とは全く無縁で、素晴らしい時間を過ごした」と語っています。

もしかすると、日本は再出発の地としては、最適な国かも知れませんね。

さて気になるイニエスタ選手の移籍金ですが、実は移籍金は発生しておりません。

というのもイニエスタ選手は契約満了に伴うフリーでの移籍だった為です。

しかし、それではバルセロナには何もメリットはないのではないか?と思われがちですが、実はこれには先ほど話したスポンサー契約が関係しており、前スポンサーのカタール空港と同じ契約年数を締結出来ることに加え、スポンサー料がカタール空港よりも年間20億以上も多い為、十分イニエスタ選手の移籍金は回収できるという訳です。

またこの移籍をキッカケに、バルセロナはアジア圏に、楽天は欧州圏に今まで以上に注目される事となり、マーケティングの部分においても両方ともWinWinの形を取る事が出来たわけでね。

ですが、移籍金やスポンサー収入はあくまでクラブのもの。

ではイニエスタ選手自身の年収は一体いくらなのでしょうか?驚きの33億円です。

間違いなくJリーグ史上最高額となる年俸です。

しかし、ヴィッセル神戸の交渉より先に、中国の重慶当代というクラブがイニエスタ選手に対して、35億+イニエスタ選手が所有するワイナリーのワイン600万本=約40億円という、破格の条件が提示されており、イニエスタ選手自身も中国に招待されていたこともあって、中国への移籍が秒読みとも報道されていました。

なぜ、この驚愕なオファーを断ったのでしょうか?

まず考えられるのは、中国リーグに移籍していてたヨーロッパ圏の選手たちに、中国リーグや中国の生活について情報を集めていたのではないでしょうか?

ちょうど、この時期より中国リーグに移籍していたヨーロッパの選手が、さまざまな理由で欧州圏内のリーグに復帰をしていました。

破格の年俸なのに、続々と欧州に復帰する様を見て、中国リーグに対して疑問を持ったのかも知れません。

実際に、中国のクラブを退団した選手が「食事が合わない」、「医療レベルが低い」と発言するなど、中国の環境はそこまでいいものではなかったみたいです。

しかし、日本ならば治安の面はもちろん、食事もおいしく医療やインフラ面、教育環境環境などが世界トップクラスですから、幼いお子様がいるイニエスタ選手にとって、日本は、文句のつけ所の無い場所です。

また、バルセロナの選手たちが日本ツアーで来日した時、バルサの選手や関係者達が「中国や韓国は行きたくないけど、日本ならいいね」と、口を揃えて言っていたそうです。

そのことから、日本のイメージも良いものだったのでしょう。

ただ、もし中国リーグへの道を選んでいたならば、今頃とんでもないことになっていたに違いありません。

2021年度に入り、中国リーグの複数のチームが活動停止に陥ったり、いくつかのクラブチームは消滅するのではないかと言われています。

また、選手への給与未払い問題や、外国籍選手への年俸を3億8000万に制限するなど、中国リーグの不安定さが、どんどん露出しています。

もしかすると、イニエスタ選手には「先見の明」が、あったのかも知れませんね。

そして、イニエスタ選手のヴィッセル神戸加入に伴い、Jリーグが今までにない盛り上がりを見せていきます。

イニエスタ選手の後に続くように、その後フェルナンド・トーレス選手、ダビド・ビジャ選手もJリーグに移籍し、世界からも注目されるリーグとなりました。

背番号に関しても、当時ヴィッセル神戸で背番号を「8」着用していた、三田選手に、イニエスタ選手本人が電話をかけ、「大切な背番号を譲ってくれてありがとう」と伝え、シーズン途中で背番号の変更が認められる事になりました。

世界的な選手から直接電話が来たら、確かに譲ってしまいますし、ましてや、あのイニエスタ選手ですから、なおさらですよね。

ちなみに、三田選手も「逆に光栄です」とイニエスタ選手に伝えたそうです。

日本での新しい挑戦となったイニエスタ選手も最初の数か月は、文化的な違いが多く苦労しましたが、徐々に日本の生活にも慣れ、Jリーグデビューの日を迎える事となります。

2018年7月23日、VS湘南ベルマーレ戦の後半14分、2点ビハインドの状況でイニエスタ選手が投入され、ついにJリーグデビューを果たします。

チームは0-3で敗れましたが、短い出場時間で得意のスルーパスや、ボレーシュートで観客を沸かせるなど、存在感を放つプレーを見せつけます。

また、イニエスタ選手のJリーグデビューに、スペイン最大級の全国紙「マルカ」も、「日本中が興奮」と大々的な見出しのもと、報道しており、母国スペインでも大きな注目を集めました。

そして8月11日の第21節ジュビロ磐田では、華麗なタッチでDFとGKを抜き去り、Jリーグ初ゴールを挙げるなど、順調な滑り出しを見せます。

2018シーズンはシーズン途中での加入だった為、14試合の出場に終わりますが、3

G3Aを記録し、日本での1年目を終えます。

迎えた、2019シーズン。

リージョ体制2年目となったこの年は、イニエスタ選手やヴィッセル神戸にとっても、特別な年となりました。

タイトル獲得へ向け、メンバーを一新させ選手の入れ替わりが激しい年となった訳ですが、シーズン序盤はチームが迷走し、リーグ戦7連敗を喫するなど、順位も大きく落とす事となります。

また、それに加え4月には、リージョ監督が本人の意思により退団し、吉田孝行監督が再登板し、6月にドイツ人監督トルステン・フィンケ氏が監督に就任しますが、チームの調子は一向に上向かず、選手のフラストレーションが溜まり、ポドルスキーのキャプテンはく奪などの人事異動もありました。

しかし、シーズン中盤を迎えた夏以降は徐々にダビド・ビジャ、ポドルスキなどの攻撃陣が機能し出し、爆発的な得点能力を見せる試合も増えだし、徐々に降格圏から抜け出すことに成功しています。

また、ベルギー代表のDFトーマス・フェルマーレンや、ドイツ・ブンデスリーガなどでプレー経験のあるDF酒井高徳を獲得した事で、シーズン序盤よりは守備の安定さは増したものの、リーグワースト3位となる総失点「59」、また1年を通してクリーンシートが6試合のみと、守備に課題を残したシーズンでもありました。

リーグ戦はなんとか、8位という一桁順位で終えますが、天皇杯に関しては、リーグ戦のうっぷんを晴らすかの如く快進撃を続けます。

イニエスタ選手も準決勝の清水戦では、前半13分に先制点を決めると、チーム3点目となるFW古橋のゴールもアシストし、決勝進出へ大きく貢献します。

そして迎えた、元日決勝。

Jリーグ最多の獲得タイトル数を誇る、常勝軍団鹿島アントラーズが相手でしたが、オウンゴールで幸先よく先制すると、その後も藤本選手の追加点などがあり、試合を優位に進めていきます。

危ないシーンが、いくつかありましたが最後までディフェンス陣が、安定した守りを見せ、ついにタイムアップの瞬間を迎えます。

見事、優勝を飾り、クラブ初の天皇杯というタイトルを獲得した神戸でしたが、実はイニエスタ選手にとっても、バルセロナ以外でのクラブチームに所属して初めてのタイトルでもありました。

「今日は特別な日です」優勝後のインタビューでそう語ったイニエスタ選手ですが、今まで、W杯、ユーロ、リーガエスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグなど、数々のタイトルを手にしてきた彼にとっても、今回の天皇杯優勝は格別だったに違いありません。

スペイン代表

バルセロナで黄金期を築き上げてきた、イニエスタ選手ですが、それは代表チームにおいても影響力は強く、「無敵艦隊」スペイン代表の躍進に貢献します。

2000年にU-15に招集されたのを皮切りに、それからは各年代別の代表の常連になり、U-16スペイン代表では2001年に開催された、U-16欧州選手権で優勝。

飛び級で招集され、翌年2002年に開催された、U-19欧州選手権でも優勝を飾っています。

その後、順調に2006年にはA代表にも選出され、W杯直前の同年5月27日のロシア戦で、A代表デビューは飾ります

スペイン代表では「6」、クラブチームでは「8」の背番号がお馴染みのイニエスタ選手ですが、2006年のドイツW杯では「13」番となっており、それまで6番を着用していたダビド・アルベルダに変わって、2008年のユーロから2018年のロシアワールドカップまで、代表番号でお馴染みの「6」番に変更しています。

そして、その後のスペイン代表においてのイニエスタ選手の活躍は皆さんが知る通りです。

まずは2008年ユーロ大会では、6試合全てに出場し、チームの優勝に貢献し、大会ベストイレブンに選出される活躍を見せています。

この大会では、シャビ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバ、イニエスタ選手といった、豪華なメンバーが中盤を形成してただけあって、話題にもなりましたよね。

そして4年後の2012年のユーロでも、スペイン代表は優勝し大会連覇を成し遂げます。

イニエスタ選手も、全6試合に出場し、大会MVPを受賞するなど、スペイン代表の黄金期を作り上げた選手の一人だったと言えるでしょう。

そしてイニエスタ選手チームの中心となって初めて迎えた2010年の南アフリカワールドカップでは、予選から本大会においてほぼ全試合出場し、スペイン代表に優勝をもたらしています。

スペイン代表としては初めての優勝であり、優勝経験のある8つの国の1つに数えられ、スペイン中が熱狂したワールドカップでしたが、それと同時にある話題も世界を騒がせました。

実は、決勝のオランダ戦で得点を決めた直後、イニエスタ選手が珍しく声を荒げ、ユニフォームを脱ぎ、イエローカードをもらう場面がありました。

もちろん、W杯の舞台ですし、優勝を手繰り寄せる先制点を決めた後というのも関係しているのでしょうが、他にも理由があったみたいです。

ユニフォームを脱いだイニエスタ選手のインナーシャツには、こんな言葉が書いてありました。

「Dani Jarque : siempre con nosotros」

(ダニ・ハルケ、いつまでも一緒だ)

また2018年、イニエスタ選手は自身のインスタグラムで、「君と離れて9年が経ったが、どんな時も君は私たちと一緒だ。恋しいよ、ダニ」、と投稿してます。

では、ダニ・ハルケという人物とイニエスタ選手の関係性について解説していきたいと思います。

ダニ・ハルケは、バルセロナで生まれ、RCDエスパニョールに所属していた、スペインのサッカー選手です。

エスパニョールの守備の要として、長年活躍し、年代別の代表でもイニエスタ選手とプレーしており、所属するチームは違えど、公私ともに仲が良く親友とも呼べる間柄でした。

しかし、そんな二人に突如別れが訪れました。

ダニ・ハルケ選手選手は、2009年8月8日遠征先のイタリア・フィレンツェのホテルで、急性心筋梗塞により帰らぬ人となったのです。

この出来事にはイニエスタ選手も今までに無いショックを受けました。

「彼が亡くなったニュースを聞いて殴られたように感じた。それから全く元気が出なく、自分の状態が良くない事気づいた。全てが暗く、黒く見えていた」と、この時の状況を語っています。

後に、イニエスタ選手は、自伝やインタビューにて「うつ病になった」事を告白してますが、ダニ・ハルケ選手の死が、うつ病のキッカケになったのではありません。

イニエスタ選手自身も、その事に関しては念を押してます。

しかし、最悪な時期に親友の死が重なったのは事実です。

イニエスタ選手の2009年を振り返ってみると、リーグ、カップ戦、欧州チャンピオンズリーグの3冠を獲得し、イニエスタ選手もCLチェルシー戦で、試合終了間際に値千金の素晴らしい同点弾を決めています。

サッカー選手として絶頂期にあり、誰もがうらやむサッカー人生を歩んでいてそうなイニエスタ選手ですが、日々、バルセロナというビッグクラブゆえの重圧、最高のプレーを見せる為に考えすぎたり、慢性的なケガに悩まされたりと、のししかかるプレッシャーとうまく付き合えあなかった時期でもあったそうです。

3冠獲得直後、気持ちがすぐれない状態が続き、空っぽな感じになり、心理学の治療を受け、「うつ病」だと診断され、さらに親友の死が追い打ちをかけた訳ですね。

イニエスタ選手の両親も「ある夜、息子の具合が良くないと気づいたんだ。私たちが下で寝ていたら、彼が降りてきて『母さん、一緒に寝ていいかな?』って言うんだ。

その時、世界がひっくり返ったと思った。25歳の息子が、真夜中に降りてきて自分の両親と寝たいはずがない。

『どうしたんだ?』と尋ねても、『わからない、気分が良くないんだ』としか言わないんだ。だから、サッカーを休ませた方がいいのではないかと考えたよ」

と語っています。

またイニエスタ選手のドキュメンタリー「アンドレス・イニエスタ-誕生の秘密-」では、1時間26分という時間の中で、この時期にまつわる描写が15分近く収録されている事から、イニエスタ選手が見た闇の深さが相当なものだったという事が、分かります。

しかし、その後イニエスタ選手は家族、妻のアンナさん、チームメイトなど周囲のサポートの助けもあり徐々に回復に向かいます。

また「グアルディオラが、底なし沼から出られるようにしてくれました」とイニエスタ選手のお母さんであるマリアさんがそう語るように、当時のバルセロナ指揮官であるグアルディオラの存在も大きかったようです。

そして、迎えた2010年南アフリカW杯決勝オランダ戦でのゴールを決めたイニエスタ選手。

試合後には「試合が終わると、僕の目の前にいくつもの苦しい瞬間が蘇ってきた。でも、サッカーは恩返ししてくれる事もある。

今日のゴールは好転の始まりだろうね。

あの時期は過去のものになった。僕をより逞しく成長させてくれたんだ」と振り返っています。

イニエスタ選手にとって、人生で一番辛かった時期だったかも知れませんが、それを乗り越える事により、今までにない景色を見ることができ、人としても一回り成長する事が出来た訳ですね。

うつ病とスポーツ選手は無縁に見えますが、実は意外とうつ病に悩まされるサッカー選手は多く、日本で言えばサンフレッチェ広島で長らく活躍された森崎浩司さんや、

イングランド代表のダニー・ローズなどもインタビューで「うつ病だった」と告白してます。

また、ドイツのサッカー選手、ロベルト・エンケ選手に至っては、うつ病を発症しましたが、誰にも打ち解けれず6年間秘密裏に病院に通いアスリートである自分とうつ病の自分とのギャップに耐えられず苦しんだ末、2009年に自殺してしまうという悲しい悲劇まで起きています。

現在のサッカー界では、カウンセラーを配置するクラブが増えてきており、選手のメンタルヘルスケアの重要性が、昔に比べだいぶ理解されるようになりました。

一見華やかに見えるサッカー界ですが、その裏では色んなプレッシャーと戦っている選手達がいる事を、私たちサポーターも忘れてはなりません。

アンドレス・イニエスタのプレースタイル・特徴

止める、けるの技術の高さ

「止める」「蹴る」、プロのみならず、小学生のサッカースクールでもよく聞く、サッカー用語でだ。

サッカーの基本であり、基礎とも言うべき大事な動作の1つであるが、この「止める」「蹴る」という技術を究極に極めたのが、イニエスタ選手である。

Jリーグの試合を見ていても、イニエスタ選手がトラップミスをしたり、キックミスをするシーンは、ほとんど見かけない。

もちろん、彼はバルセロナのカンテラ出身なので、優秀な監督、コーチによる指導もあったのだろうが、特別な練習をしていた訳ではない。

実際に、子供から「小さい時にどんな練習をしていたのですか」との質問にも、「リフティングを毎日欠かさず行っていた」と語っている。

また、バルセロナ時代の個人練習を動画で一般公開しているが、蹴って跳ね返ったボールを背後の左右のゴール二つに、反転して枠に入れるという練習である。

この、動画を見て頂けると分かると思うが、蹴ったボールが自分に跳ね返ってくると、ワンタッチで前を向き、蹴る足に最適な位置にボールを運んでいる。

サッカーで言うところの、「ボールの置き所がいい」という表現である。

つまり、ボールをトラップしてから、ボールを動かすのではなく、ワンタッチで次の動作に移りやすい位置にボールを収めている。

ワンタッチで、自分が思うような位置にボールを落とせるようになるという事は、必然的にボールをロストする回数も圧倒的に減らすことが出来る。

MFというポジションは上下左右に、敵味方が入り乱れる密集地であり、1つのミスからゴールに直結するパターンも少なくない。

ましてや、バルセロの司令塔とも言えるイニエスタ選手には、激しいマークが付くのは誰が見ても明らかである。

その中でも、彼はバルセロナが実践するパスサッカー「ティキタカ」の、中心であり、数々のゴールを演出してきた。

個々の能力だけで通用するユースとは違い、トップリーグに行けば行くほど、「止める」「蹴る」などの重要性が問われるのである。

この一連のプレーを、世界の舞台でも難なくこなすのが、イニエスタ選手が世界最高のMFと言われる所以だが、そのプレーが「止める」「蹴る」という、基本的な土台の上に成り立ってるのを忘れてはならない。

ドリブル

イニエスタ選手のドリブルは、おそらくみなさんが想像しているようなドリブルではない。

失礼な言い方かもしれないが、彼には、メッシみたいにスピードは持ち合わせておらず、かといってルカクみたいなフィジカルと、ロナウジーニョみたいな多彩なフェイントもない。

つまり、ドリブルのタイプとしては、自分から「仕掛ける」タイプではない。

では、イニエスタ選手のドリブルとはどんなものだろうか?

イニエスタ選手は、相手の状況をギリギリまで見極め、自分の体を壁代わりにして、進んでいくドリブルだ。

これは非常に簡単で、「左から敵が来てるなら右にかわす」そんなイメージで大丈夫だ。

例えば、ライン際やサイドでのドリブルでは、ボールを奪おうとしてきた相手の足とは逆の軸足の方に、ボールを移動させ、抜き去っていく。

二人のディフェンダーに、囲まれた際には、右足でボールを引いてそのままインサイドで前に出して、二人の間をすり抜けていく。

また、背を向けた状態でも、軸足と体の振りだけで、相手をかわしつつも、ボールを上手く体で隠し、取られない位置にあり、すぐさま反転してスムーズに次のプレーへと移る。

相手を抜き去るのに、スピードやフィジカル、シザースなどのフェイントは必ずしも必要で無い事が、イニエスタ選手のドリブルから見て取れるだろう。

しかし、イニエスタ選手は1つだけ、すごい武器を持ち合わせている。

それは、「ダブルタッチ」だ。

ダブルタッチとは、自分に向かってきた相手に対して、インサイド、もしくは足の裏でボールを横にスライドさせ、すぐさま前方に蹴り出し、相手抜く技である。

フットサルなどでも、使用されている非常にポピュラーな技などで、知っている方も多いのではないだろうか?

このダブルタッチを、先ほど紹介した技術に加えて、使用していくのだが、やみくもに使っているわけではない。

自陣ゴールに近い、ディフェンシングサードでは、ほぼ使用しないし、ましてや自陣バイタルエリアでも使わない。

ダブルタッチを使う場所は、ハーフウェーラインを過ぎた、ミドルサードからアタッキングサードでの使用率が断トツで多い。

1つは万が一奪われても、すぐに対処でき、失点に直結するリスクを減らせること。

2つ目は、あえて、スピードにこだわらないダブルタッチを使用する事により、味方のサポートを待つ。

3つめは、ダブルタッチを使用し相手を剥がすことで、数的優位を作りだし、厚みのある攻撃が展開できる。

また、ダブルタッチを使用し、1~2人剥がせれば、ディフェンスラインから、ディフェンダーを引きずりだし、ギャップを作り出すことが可能になる。

もちろん、状況によってはシュートという選択もあるが、パスサッカーを展開するバルサでは各選手が、いい距離間でまわりに配置されており、パスを選択する場合が多い。

なおかつ、バルサにはD・アウベス、ジョルディ・アルバなどアシスト能力に特化したサイドバックや、決定力がずば抜けて高いメッシもいることから、相手を剥がした時点で勝負あったということだろうか。

確かに、圧倒的な走力で敵を抜き去るドリブルは魅力的だが、足の速さはどうしても、天性のものがある。

走力に自信が無い人には、今回紹介したイニエスタ選手の、ドリブルは非常にオススメだ。

もちろん、足が速い人でも、ドリブルの選択数を増やす事にもつながるし、組み合わせみても、面白いだろう。

「正確無比なパス」「針の穴を突くようなパス」

しばし、サッカーで使われる用語であり、パサーとしては、この上ない誉め言葉だ。

歴史を紐解いていけば、ルイ・コスタ、ロベルト・バッジョなど、ファンタジスタと評される選手を指す場合によく用いられていた。

さしずめ、イニエスタ選手は現代版の「ファンタジスタ」といった所だろう。

彼らより、1列低い位置のポジションだが、ゲームメイクからパサーの役割までこなしているが、

イニエスタ選手は「状況に応じた多種多様なパス」が、ずば抜けてうまいと言える。

パスと言えば「インサイド」を使っての正確なフィードを思い浮かべる人が多いかもしれない。

もちろんイニエスタ選手も、インサイドキックも使用しているが、その他にも足の様々の部位を使ってパスを供給している。

例えば、2019年に行われたサガン鳥栖VSヴィッセル神戸戦では味方との左サイドでのワン・ツーから、逆サイドにインステップでのサイドチェンジのパスを見事に成功させている。

海外リーグと違い、ロングパスでのサイドチェンジが比較的少ないJリーグにおいて、このイニエスタ選手のサイドチェンジを見て、驚いた方も多いのではないだろうか。

では、他の場面ではどのような、パスを供給しているのか、自陣でのパス回しでは正確性に重点を置いたインサイドキックが多い印象だが、先ほどの「ドリブル」の解説と少し被り、アタッキングサードからバイタルエリア付近では、主にインフロント、アウトフロント、つま先、かかと、などを駆使して、パスを供給している。

インサイドキックは正確性はあるものの、そのキックモーションゆえに、コースを読まれやすいデメリットもある。

つまり、バイタルエリア付近などの密集地帯では、インサイドキックよりも、相手に読まれにくく、タイミングを合わせにくいインフロント、アウトフロントでのパスが、有効となる場合もある訳だ。

また、時には浮き球で、相手の頭上を超えるようなパスも出すので、ディフェンダーからすると、かなり、やっかいである。

そして、何といってもこの一連のパス、全てに正確性が伴っているところが、イニエスタ選手の凄さを物語っている。

もちろん、ボールコントロールの所で紹介した、反復練習を行っている事も大きいだろうが、実はイニエスタ選手は自分のプレーを家に帰って、毎試合欠かさず録画してチェックしているそうだ。

過去に2度パスを失敗しただけで、一晩中眠れなくなる日もあり、その一つはレアルマドリードに敗れた、2011年のコパ・デル・レイの決勝だったという。

自身の性格を頭でっかちだと語るイニエスタ選手だが、1つにパスにここまで、こだわりを見せるのが、イニエスタ選手が完璧主義者と言われる理由だろう。

インテリジェンス

「インテリジェンス」や「フットボールIQ]という、言葉が近年よく使われるようになっているが、実はこの言葉に、明確な定義は無いように思える。

例えば、ネイマール選手と、イニエスタ選手はよくインテリジェンスという、表現が用いられる事が多いが、実際にプレースタイルは全く異なる。

おそらく、ネイマール選手を「インテリジェンス」と表現する人達は、あの魅力的な足技や、独特のボールタッチ、予想外のパスセンスなどを見て、判断していると思う。

では、イニエスタ選手のインテリジェンスとは何か?

あくまで、筆者の考えだが、「自チームに有利な状況を作り出す」「相手チームの弱点を見つけ、それを実行に移す」といった感じだろうか。

例えば、相手の右SBは攻撃が好きな選手がいて、上がったスキを狙う瞬間は沢山あるが、少し運動量が落ちた瞬間に、そのサイドにここぞという時にパスを出したり、相手CBがサイドにボールを振られた際、マークを外すクセがあるならば、サイドチェンジを多用したりするといったイメージだ。

もちろん、これらの事を実行するには、ボールを扱う技術、ゲーム理解力、試合の流れを読む戦術眼などの能力が備わっている、イニエスタ選手だからこそ、可能だと言えるだろう。

では、なぜイニエスタ選手にはこういった能力があるのだろうか?

実は、近年の化学的な発展に伴い、ある心理学者が神経心理学的なテストを受けさせた結果、イニエスタ選手は、「問題解決能力」、「情報収集能力」、「判断力」が、傑出していたという。

FCバルセロナのメソッド部門を担当する、フランシスコ・セイルーロ氏によると、イニエスタ選手は、12歳の時から、「自分の正面にいる敵がどんな相手でも対応する事ができ、未知の状況を作り出し、試合を展開する事に置いて、高い能力を示していた」と語っている。

また、イニエスタ選手は、試合中において「首振り」を絶えず行っている。

時間に例えれば1秒ほどの動作だが、普通のプレーヤーとイニエスタ選手では、入ってくる情報量そのものが違うかも知れない。

昨年、川崎フロンターレを引退した、中村憲剛選手はイニエスタ選手と対峙した際、「取れそうで取れない位置にボールを置き、取ろうとすると、逆をつかれ、かわされる。また、どんな状況でもヘッドダウンせず、しっかりボールを止めて保持してるので、コースが読めない」と語るように、イニエスタ選手が作り出す特別な空間こそ、彼がイルージョニスタ(手品師)とのニックネームをつけられる所以であり、「スペインの至宝」として、代表、クラブで黄金の中盤を形成し、数々のタイトル獲得していったのである。

空間の使い方

エントレリネアスとは「ライン間」という意味で、主にDFラインとDFライン間、DFラインとMF間に出来たスペースに入って行く、動きの事を指します。

単純に、横方向、縦方向へのパスを繋ぐだけでは、相手のマークは外しにくく、展開力に欠け、相手チームにとっても、怖さが無く、戦いやすいチームになってしまいます。

しかし、DFライン間でパスを受けることにより、相手が引きつけられギャップが生まれディフェンスラインのバランスが崩れやすくなります。

また、パスを受けなくても警戒され、自分を囮にして、他の味方選手がスペースに飛び込んできたり、「パスを出してくるかもない」と、相手DFを、考えさせることがこの動きのメリットと言えるでしょう。

そしてイニエスタ選手は、この動きが格段に上手い事で有名であり、それと同時に「チェンジ オブ ペース」を上手く使い分けます。

スペースを見つけ走り込み、パスを受けても、数的不利の場合や、前線に出し所が無い場合は、味方にリターンしますし、時にはピケがいるDFラインにまで、ボールを下げることもあります。

しかし、自分のマークが緩く、前を向ける余裕がある場合は、一気に加速し前線へ走り出し、時には自分がサイドに流れ、ウィンガーの役割を果たすこともあります。

極端に言いますが、イニエスタ選手の「力」が入ったプレーを見られるのは、この瞬間くらいです。

他の、プレー時では、リラックスし冷静なプレーをしている印象です。

では、この「エントレリネアス」の動きを、複数の選手が、心掛けていたら、どうなるでしょうか?

バルセロナでしたら、基本4バックですので、そこにGKを含めた5人以外のMF,FWの6人で「エントレリネアス」の動きを実践すれば、おのずと、どこかにスペースや、マークのズレが生じてきます。

また、イニエスタ選手在籍時のバルサの両サイドには「超」が付くほどの攻撃的サイドバック、ダニエウ・アウベス、ジョルディ・アルバがおり、サイドにスペースが生まれたら、彼らの独壇場です。

ましてや、バルサが実践するパスサッカー「ティキタカ」との、相性も良く、ブスケツやシャビといった、バルサのサッカーを熟知した選手もいる事から、相手チームからしたら、驚異しか感じないでしょう。

なぜ、ここまで「エントレリネアス」の動きが身についているのでしょうか?

もちろん、戦術、個々の能力によるものもありますが、実は日本でも身近になってきた「フットサル」での、経験が大きいと思われます。

実は、スペインでは6歳~9歳までフットサルを経験し、7~11人制サッカーへ段階を経て行くのが一般的となっています。

そしてイニエスタ選手のフットサル出身の選手なのです。

フットサルはサッカーの9分の1サイズで、プレーしますが5人制の為、選手同士の距離が必然的に近くなり、一人でプレーする時間は短くなります。

また、ピッチが狭い為、スペースはほぼ存在せず、選手自らが、スペースを作る動きを行い、ボールを持っていない選手が、パスを受けようとする習慣が自然に身についていきます。

コートが狭いゆえに、認知、判断、視野確保などが瞬時に求められるフットサルで培った技術がサッカーでも十分活きるわけです。

確かに、イニエスタ選手を始め、ジダン選手、ロナウジーニョ選手など歴史に名を残すプレーヤーが、幼少期にフットサルを経験しています。

フットサルが普及してきた日本でも、もしかしたら歴史に名を残すプレーヤーが、近々誕生するかも知れませんね。

私生活、愛妻

では、イニエスタ選手のプライベートについて少し触れていきましょう。

イニエスタ選手には、妻のアンナ・オーティズさんとの間に4人の子供を授かり、現在6人家族です。

妻のアンナさんはイニエスタ選手の2つ年下で、ラテン系の雰囲気が魅力的で、笑顔が素敵な女性です。

SNSでも、「イニエスタの嫁、美人過ぎる」と話題になりましたよね。

さて、そんなイニエスタ選手とアンナさんですが、実は二人の馴れ初めには、「日本」という国が少しばかり関係しているのを、ご存知でしょうか?

「日本は運命だったんだ」と、本人が語るように、日本は特別な国みたいです。

では、二人の馴れ初めについて、触れていきましょう。

最初の出会いは、カタルーニャのマタローという場所の喫茶店で、イニエスタ選手がたまたま友達とご飯を食べている時に、その喫茶店のウエイトレスとして働いていた、アンナさんに出会いました。

アンナさんを初めて見た時、イニエスタ選手はフレチャッソ(衝撃を受けた。一目ぼれの意味)だったそうです。

ただ、アンナさんは当時彼氏がいる上に、サッカーにも興味がなく、イニエスタ選手には見向きもしなかったそうです。

また、恋愛に奥手だったイニエスタ選手は連絡先も聞けずにいたそうですが、共通の知り合いを通して、アンナさんの連絡先を聞き出すことに成功しています。

後にイニエスタ選手はこの出来事を「シャイの男には、シャイの男なりの戦術があるのさ」と語っています。

その後、彼氏がいるアンナさんに、めげずにアプローチを仕掛けていったそうです。

そして、二人が付き合うキッカケになったのが、日本で行われたバルセロナの親善試合後に乗ったANA(全日本空輸)の飛行機でした。

空港でANAの文字を見たイニエスタ選手はアンナさんの事を思い出し、飛行機のおもちゃとラブレターを持参し、二時間かけてアンナさんの元へ出向き誠意を伝え去っていきました。

つまり、ANAをアンナにかけたわけですね。

手紙を受け取ったアンナさんは「恋に落ちたわ」と姉妹に語ったそうです。

その後、イニエスタ選手の優しい人柄伝わり、交際がスタートします。

サッカーに没頭してきたイニエスタ選手にとってアンナさんは、初めての彼女だったそうです。

その後、交際から4年後の2011年には、長女のヴァレリアちゃんが、誕生し結婚を決意します。

日本で言う「できちゃった婚」ですが、実はヨーロッパでは事実婚という風習があり、さほど珍しくなく、レアルマドリードのセルヒオ・ラモスやバルセロナのメッシも、事実婚から始まり、結婚に至ってます。

なんでも、欧州では、日本みたいに年を重ねる度に結婚せかされる事はなく、人生を共にするパートナーをしっかり見極める為に、事実婚を選択するカップルが多いのだそうです。

そして、2012年7月8日にカタルーニャのタラゴナの、タマリット城で結婚式が行われました。

参加者の中には、メッシ、エトー、シャビ、セスク・ファブレガスなど、サッカー界の大物を含む、総勢700人が招待されており、イニエスタ選手の人柄を表す素晴らしい結婚式になったみたいですね。

その後、2014年には悲しい事に流産してしまいますが、悲しみを乗り越えて2015年には長男のパオロ・アンドレア君が誕生、2017年には次女のシエナちゃん、2019年6月にはロメオ君が誕生しています。

思春期を迎える上の子たちは、詳細は分かりませんが神戸のインターナショナルスクールに通っているみたいですね。

インタビュー記事でも、近所で日本人以外の友達が出来て、学校でもお友達を作っていると話してますから、日本での生活にだいぶ慣れてきたのではないでしょうか。

神戸は、港町とだけあって国際色豊かな都市ですし、外国人のイニエスタ家族からすれば、馴染みやすい土地かも知れません。

また、イニエスタ選手とアンナさんも日本語の勉強に、熱心に取り組んでいます。

日常の挨拶から、様々な言葉を覚え、チームメイトやスタッフと積極的にコミュニケーションを図っており、インスタグラムでも、「OYASUMI」や「OHAYO」といった日本語を交え投稿しています。

ちなみにイニエスタ選手は、故郷ラ・マンチャにブドウ畑とワインセラーを持つほどワイン好きで有名です。

そして、アンナさんの実家はパン屋を営んでいます。

パンとワインは相性がいい食べ物同士というのは皆さんもご存じの通りだと思います。

無理やりなこじ付けですが、イニエスタ選手とアンナさんが出会ったのは偶然ではなく、運命だったのではないでしょうか。

アンドレス・イニエスタの今後について

ヴィッセル神戸

Jリーグが開幕してますが、イニエスタ選手は12月に受けた手術の為、現在はリハビリに励んでいます。

最近、ようやくボールを使ったトレーニングを開始している事から、復帰はおそらく4月~5月あたりになると思われます。

チームも好調で、リーグ戦5位(21年3月21日現在)の位置につけており、タイトル獲得へ向けイニエスタ選手の復帰を待ち望むサポーターも多いでしょう。

今年も、東京オリンピックの影響で、過密日程となっていますが、今シーズンは怪我することなく、元気な姿をピッチで見たいものですね。

移籍情報、契約更新

現在、イニエスタ選手の移籍情報は、無いようです。

2018年に3年契約の2021年まで、契約を結んでいますが、延長する確立が高いと言えます。

バルセロナでのインタビューでも、ヴィッセル神戸での引退と、契約延長に前向きなコメントを発信している事から、日本での生活をとても気に入っており、特に治安の良さと、落ち着いた国民性にとても驚いたみたいですね。

もちろん、移籍先候補はいくつかありますが、まずバルセロナを、含む欧州圏内のチームに移籍はほぼあり得ないでしょう。

まず、先ほど述べた通り、ヴィッセル神戸移籍の際に、「バルセロナと対戦しない地域」を第一条件にチームを探したと語っています。

また、2020年のオフにバルセロナから期限付きの復帰の打診がありましたが、これも断っています。

あとは、かねてから噂があった中国とアメリカMLSになりますが、まず中国はここ最近、リーグでの選手年俸の制限と、給料未払い、活動停止のクラブチームが複数あるなど、リーグ自体が不安定な状況にあります。

その為、中国リーグに移籍するメリットは無いと思われます。

アメリカMLSついては、2019年オフにMLSの3チームを含む、アルゼンチンのクラブチームからもオファーがありましたが、全て断っています。

ましてや、日本よりコロナのが猛威をふるっている地域に、リスクを冒してまで移籍する必要も無いでしょう。

となると、ヴィッセル神戸でプレーする事が、イニエスタ選手にとってもJリーグファンにとっても、一番ベストな選択肢ではないでしょうか。

年俸33億円とも言われているイニエスタ選手ですが、ぜひ三木谷社長には頑張って頂きたいところです。

現役引退後は指導者への道に進むと公言していますが、アーセン・ヴェンゲルや、ピクシーみたいに、日本のクラブチームで、指導者としてのキャリアを積んでほしいですね。

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