サッカー一筋ガンバ大阪・宇佐美貴史の経歴・プレースタイルを解説

ガンバユース史上最高傑作とも評される宇佐美貴史は、ガンバ大阪ジュニアユース時代より、天才の片鱗を見せ、常に世代別代表に選ばれており、.2015年にはA代表デビューも飾っています。
ガンバ大阪を経て、ドイツの名門バイエルンミュンヘンなど、複数のクラブを渡り歩き、2020年現在ガンバ大坂に所属しています。
今年で29歳を迎え、円熟期を迎えつつある宇佐美選手ですが、現在でもガンバ大阪で絶対的な地位を築いており、特に攻撃面においては欠かせない選手となっています。
この記事では、宇佐美選手の幼少期から現在に至るまでの、サッカー人生について、振りかえってみようと思います。
ぜひ、最後までお付き合いください。

宇佐美貴史のプロフィール

生年月日 1992年5月6日
国籍 日本
出身 京都府長岡京市
身長 178㎝
体重 69㎏
利き足
ポジション FW
背番号 ガンバ大阪:39
SNSアカウント Twitter https://twitter.com/takashi_usami39
宇佐美蘭(旧姓 田中井)さんは、キャスター、女優、モデルにマルチにこなすタレントです。

宇佐美貴史選手とは、バイエルン移籍が決まったの同時期の2011年6月27日に籍を入れています。

馴れ初めは、お互い長岡京市出身で、中学校の先輩後輩という間柄で、お互いの実家も歩いて5分以内と幼馴の関係でした。

スポーツ選手の妻特集などで、目にする機会が多く、ご存じの方も多いのではないでしょうか?

宇佐美貴史の経歴

ガンバ大阪というと、「宇佐美貴史」を連想する人も多いのではないでしょうか?

近年では、サッカーのみならずメディアでの露出も増えた宇佐美選手ですが、どのようなサッカー人生を歩んできたのでしょうか。

幼少期から、現在に至るまでを振り返ってみましょう。

生後8か月で始まった宇佐美貴史のサッカー人生

生まれついてのサッカー選手と言うべきか。宇佐美選手は生後8ヶ月くらいからボールを蹴っていたそうです。

長男と次男が、地元のサッカーチーム長岡京SSでプレーしており、宇佐美選手も自然な流れで、同じチームに入団します。

すでにその頃から、天才の片鱗を見せており、低学年ながら高学年の試合に出場するなど、格の違いを見せつけており、小学校を卒業するまでに600点以上の得点を挙げてなど、「天才少年」と呼ばれており、地元でも注目される存在でした。

また、家では試合の映像をチェックし、改善点や、上手くなるにはどうしたらいいか常に考えてサッカーに取り組んでいたといいます。

クラブチームの練習が無い日でも、近所の公園でボールを蹴るなど、いわゆる「サッカー小僧」そのものだったのです。

小学校卒業後、ガンバ大阪ジュニアユースへ入団していますが、ガンバを選んだきっかけは、「大阪へ行きたい」という、宇佐美選手の強い要望がありました。

もちろん、地元京都にも京都パープルサンガのジュニアユースがあります。

しかし親の影響もあってか宇佐美選手は幼少期より、ガンバ大阪の試合や練習場にトップチームの練習を頻繁に見に行く内に、「ここで普段から練習できる選手になりたい」と強く思うようになりました。

幼少期からすでに、ガンバ愛に溢れる選手だったのですね。

ガンバ大阪ジュニアユースに入団し、中学3年時にはユースに昇格するなど、順調にステップアップしながら、ついに高校2年時にトップチームに昇格します。

その後の活躍は、皆さんが知っての通り、ガンバ大阪の看板を背負う選手にまで、成長します。

ガンバ大阪時代

2009シーズンは、ガンバ大阪のトップチームに昇格すると、5月20日のACL FCソウル戦で早くもメンバー入りを果たします。

さらに、この試合で、稲本潤一選手が1997年に記録した、17歳171日のガンバ大阪デビュー記録を更新する、17歳14日での公式戦出場を果たし、後半19分には倉田選手のパスに抜け出した宇佐美選手がゴールを決め、公式戦初得点を記録します。

その4日後の、5月24日には、13節鹿島戦でJリーグデビューを果たし、高校生Jリーガーの誕生に、日本中に衝撃が走りました。

2010シーズンを迎え、相次ぐ主力の負傷により、4月10日のJ1 6節大宮戦で、初めてスタメンに抜擢されます。

8節FC東京戦では、Jリーグ初得点を記録し、シーズンが終わってみれば7得点を挙げる活躍を見せ、主力に定着します。

またこのシーズンは、2004年に森本貴幸選手が記録した、高校生Jリーガーの最多得点(4得点)を更新する、7得点挙げ、ガンバ大阪では初となるJリーグベストヤングプレーヤー賞(新人賞)を獲得しています。

この記録を、当時18歳の高校生が、達成したなんてすごいですよね。

元、日本代表の橋本英郎が選ぶ天才4名の中にも、宇佐美選手が選ばれています。

残りの3人は、柿谷曜一朗選手、小野伸二選手、家長昭博選手とそうそうたる面々です。

プロの目から見ても、宇佐美選手の天才ぶりは群を抜いていたのでしょうね。

2011シーズンの6月24日にガンバ大阪より、バイエルン・ミュンヘンへの期限付き移籍が発表され、ガンバ大阪の至宝がついに海外へ羽ばたく事となったのです。

宇佐美貴史 ガンバ大阪 VS FCソウル戦 プロデビュー 公式戦初得点

宇佐美貴史 2009-2011 プレー集

バイエルン・ミュンヘン時代

2011年夏、19歳の若さで、ドイツの強豪チーム、バイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍を果たします。

バイエルンミュンヘン以外にも、欧州の中堅クラブからのオファーがあったのですが、あえて競争が激しい、過酷な挑戦を選んだわけですね。

シーズン前の欧州のビッグクラブが集まる親善試合、アウディカップに帯同し、バルセロナ戦で出場を果たすと、スルーパスなどで決定機を演出するなど、インパクト与えます。

10月26日のドイツカップ2回戦、FCインシュゴルシュタット戦で移籍後初ゴールを記録しますが、リーグ戦デビューとなった、ウォルフスブルク戦では途中出場途中交代を味わうなど、定位置の確保が出来ませんでした。

このシーズンは4試合の出場にとどまり、結果的に完全移籍を勝ち取る事が出来ず、バイエルンの挑戦は1年で終わりを迎える事となったのです。

その後、ブンデスリーガTSG1899ホッフェンハイムへの、期限付き移籍が発表されます。

その後、宇佐美選手はドイツの複数クラブを渡り歩くことになるのですが、「ドイツへの挑戦は失敗に終わったが、バイエルンに移籍できた事は、本当に良かった」とインタビューで語っています。

理由としては、ドイツのビッグクラブに所属したことにより、勝利のメンタリティーを学べたこと。

オランダ代表ロッペンや、フランス代表リベリーなどプレーすることにより、プレー面はもちろんの事、考え方やメンタル面など、自分に必要なものを身につけられたと語っています。

ドイツでの挑戦は無駄ではなかったという事ですね。

宇佐美貴史 ドイツでの日々を振り返る

FCインシュゴルシュタット戦での初ゴール

アウディカップ バイエルンミュンヘンVSバルセロナ

ホッフェンハイム時代

2012年、再びガンバ大阪からのレンタル移籍でホッフェンハイムに加入した宇佐美選手でしたが、フィジカル面、ドイツ語でのコミュニケーション問題、守備意識の低さなどを露呈し苦しいシーズンとなりました。

第3節フライブルク戦、第5節シュツットガルト戦では1G1Aの活躍を見せるなど、シーズン序盤こそは多くの試合で先発起用されるものの、クラブの成績不振から、実に5人の監督交代、スポーツディレクター3人が交代を行うなど、クラブが新監督を迎える度に出場機会を失っていきます。

監督交代に伴い、起用方針が変わり、新しいシステムに慣れるまでの時間が無かったのも、出場機会を失った原因のひとつとも言えるでしょう。

20試合出場2G2Aと、プレイそのものが悪かった訳ではなかったですが、2013年4月25日、ホッフェンハイムは買取オプションを行使しないと発表。

同年7月1日、ガンバ大阪へ復帰する事となります。

ホッフェンハイムでのプレー集

ガンバ大阪(第2次)時代

2013年、復帰後の7月20日のJ2第25節ヴィッセル神戸戦で復帰すると、早速2ゴールを挙げる活躍を見せ、ガンバを勝利に導く活躍を見せました。

途中加入ながら、1試合1ゴールを上回る18試合で19ゴールを叩き出し、得点ランキング2位に輝いてます。

五大リーグからJ2へ「都落ち」と評される事もありましたが、ドイツでの日々が無駄では無かった事を証明しており、宇佐美選手の加入はチームに勢いをもたらし、クラブのJ2優勝&1年でJ1復帰に貢献しました。

2014年、開幕前の2月にケガの為、長期離脱を余儀なくされます。

また、チームもブラジルW杯中断期間後は、一時16位に低迷するなど、1年でJ2に戻りかねない状況でした。

しかし、宇佐美選手の復帰と、パトリック選手の加入によりチーム状況が一変します。

再開後の20試合で、二人だけで18ゴールをマークし、リーグ、天皇杯、ナビスコ杯を制覇し前代未聞の、昇格即3冠獲得という偉業を達成し、2015年にも天皇杯を獲得し2連覇にも貢献します。

また、個人としても2014、15年と2年連続Jリーグアウォーズでベストイレブンに選出され、ガンバの黄金期を築きあげる事となります。

ガンバ復帰後、J1、J2合わせてリーグ戦95試合出場53得点21アシスト、ナビスコ杯8試合出場5得点、天皇杯9試合11得点という、素晴らしい成績を残し、2016年6月20日、2度目の海外挑戦となる、アウクスブルクへの移籍が、ガンバ大阪より発表されました。

復活!2013シーズンの宇佐美貴史。

アウクスブルク時代

2016年、夏にディルク・シェスター監督の率いるアウクスブルクに加入した宇佐美選手だったが、ロングボールを主体とした戦術に中々フィットせず、出場機会に恵まれませんでした。

原因としては、宇佐美選手のポジションには、ブラジル人アタッカーであるカイビの存在が大きかったと言えるでしょう。

シュートまで持ち込める打開力を持っていたカイビは、アウクスブルクが展開する戦術に適した選手であり、徐々にシュート機会を増やしていきます。

当初は、監督、サポーターからも攻撃に違いを生み出せる選手として期待された宇佐美選手でしたが、ベンチ外が続くようになり、結局移籍1年目は、11試合出場得点に終わり、その後デュッセルドルフへのレンタル移籍を決断します。

アウクスブルクでのタッチ集

デュッセルドルフ時代

2017年、夏にアウクスブルクからデュッセルドルフにレンタル移籍で加入した宇佐美選手。

フリードへリム・フンケル監督の信頼を勝ち取ると、課題だった守備面で改善が見られ、主に右MFでの起用が目立つようになります。

その後、原口元気と宇佐美選手の日本人選手の両ウイング起用が当たり、1年目は28試合出場8得点を記録し、デュッセルドルフの1部復帰に大きく貢献します。

再レンタルの形で、2年目もデュッセルドルフでの活躍が期待された宇佐美選手でしたが、レンタルで加わったFWドディ・ルケバキオ、ダビド・コフナツキの加入により、ポジション争いが激化することになります。

シーズン序盤こそは起用されたものの、徐々に序列を落とすようになり、シーズン後半戦になると、ベンチ外が続くようになり、2年目のデュッセルドルフでは19試合出場の1得点に終わってしまいます。

最終節に退団セレモニーが行われ、アウクスブルクへの復帰が有力でしたが、当時のアウクスブルク監督の構想外となり、2019年6月24日、ガンバ大阪へ3年ぶり2回目の復帰を果たします。

デュッセルドルフでのプレー集

ガンバ大阪(第3次)時代

2019年に、アウクスブルクからの完全移籍でガンバに復帰した宇佐美選手。

ガンバのみならず、複数のJリーグのクラブから獲得の打診はあったみたいですが、なぜ、ガンバ大阪に復帰したのでしょうか?

もちろん、幼少期から「自分を育ててくれたクラブであり、ガンバ愛が大きな要因となったのは間違いありませんが、移籍の舞台裏では、松波強化部長との、あるやり取りがありました。

「海外の選択肢を残したまま、復帰したいという考えは甘い」、と厳しく宇佐美選手に告げたそうです。

その言葉の裏には「ガンバ大阪で生涯を全うする覚悟があるのか?」という、意味が込められており、宇佐美選手も合意し契約に至りました。

「宇佐美選手の海外挑戦は失敗だった」という記事をよく見かけますが、ドイツでの5年間は、身体の変化を求める為に、食事、トレーニング面において、沢山のチャレンジしたと語っています。

海外という厳しい環境に身を置くことで、自身に足りないものや、自分を見つめ直すことが出来たわけであり、「海外挑戦は失敗」だとは、一概に言えないでしょう。

チームの長年の象徴だった遠藤選手が不在の今、宇佐美選手にはピッチ内外で大きな役割を求められる事になるでしょう。

宇佐美貴史2019-2020プレー集

日本代表

世代別代表の常連だった、宇佐美選手。

特に、92年生まれは、同学年に柴崎岳など、多彩な才能を持ったプレーヤーが多く、「プラチナ世代」とも呼ばれていた。

宇佐美選手は2011年、6月に開催されたキリンカップで、A代表に選出されていますが、同大会では出場するに至りませんでした。

4年後の、2015年ハリルホジッチ新体制になった、日本代表に選出されると、それを皮切りにコンスタントに招集されるようになります。

2015年3月27日のハリルホジッチ監督の初陣となった、チュニジア戦で代表デビューを飾ると、3月31日のウズベキスタン戦で代表初ゴールを決めます。

その後、2018年ロシアW杯のメンバー入りを果たし、W杯初出場となった、第2戦のセネガル戦で、左MFで途中から投入され、6月11日のイラク戦では、代表初先発で起用されています。

国際Aマッチ27試合3得点を記録しており、得点記録の詳細は以下のようになっています。

2015年 ウズベキスタン戦 1ゴール
2015年 ロシアW杯 アジア2次予選 シリア戦 1ゴール
2016年 キリンチャレンジ杯 ブルガリア戦 1ゴール

宇佐美貴史 日本代表ゴール集

宇佐美貴史のプレースタイル・特徴

海外クラブでの経験をえて、プレー面はもちろん、精神的にも一回り成長した宇佐美選手。

「天才」と言われた逸材が伸び悩み、サッカー界から姿を消すのは、珍しい事ではありません。

その中でも、日本のトップリーグの最前線で、今だに卓越したプレーで宇佐美選手は活躍をしています。

ここでは、宇佐美選手のプレースタイルについて、詳しく解説していきたいと思います

日本人離れした力強いドリブル突破能力

宇佐美選手といえば「ドリブル」を、想像する人も多いのではないでしょうか。

足元のテクニックもさることながら、独特のタイミングと緩急を上手く使いこなし、相手の選手間の間をスルスルっと突破し、カットインからのシュートは宇佐美選手の代名詞とも言えます。

また、状況判断力が高く、プレーに迷いが無い為、シュート、ドリブル、パスといった選択を瞬時に行う事が出来ます。

能力の高さから、サイドハーフ、トップ下、前線の2トップまでこなせる、日本屈指の攻撃力が魅力のアタッカーだと言えるでしょう。

宇佐美選手のスプリント能力

Jリーグの試合を見ている方は、ご存じだとは思いますが、近年では10~30mの距離を、時速24㎞以上のスピードで1試合通してどれだけ走ったのかの回数を「スプリント数」で表すのを、よく見かけると思います。

結論からはっきり言いますと、宇佐美選手は時々名前が上がるくらいで、そこまでスプリント回数を、多くこなす選手ではありません。

スピードが武器の宇佐美選手ですが、相手ディフェンス裏へ抜け出す動きよりも、自分のタイミングで仕掛け、味方を上手く使いながら、相手守備陣のブロックが崩れた瞬間を狙うパターンを得意としています。

同じFWのポジションでスプリント回数が多い、横浜Fマリノスの前田選手、F東京の永井選手とは、タイプ的に違うのが良く分かります。

ただ、スプリント回数というのは、攻撃のみならず守備面でもカウントされます。

最近の宇佐美選手は、守備の際にスプリントで魅せる場面が昔よりも多い印象を受けます。

理由としては、システムが4-4-2でありながら、ほぼパトリックの1トップというシステムをガンバ大阪が採用してることにより、宇佐美選手はFWありながら1.5列目もしくは2列目でのプレー多く、守備に重点を起きやすいポジションに起用されている為だと思われます。

2013-2016シーズンの長谷川政権下では、前線で起用されスプリント回数が伸びた時期がありましたが、前線の守備を行う事により、ディフェンスラインをコンパクトにしつつ、押し上げることにより、FWの選手が守備に要する距離を減らす、長谷川監督の戦術が大きく影響したシーズンでもあった訳です。

サッカーとは点を取るスポーツの為、ゴール、アシストなどに目を奪われがちですが、こういったトラッキングデータを見ることにより、得点までのプロセスを垣間見れる事ができます。

ぜひ、皆さんも注目してみてください。

宇佐美貴史といえばミドルシュート

宇佐美選手は、Jリーグの日本人選手の中で、シュートへの意識が非常に高い選手です。

特に、ゴールから20m~25mのミドルレンジからのシュートが多く、2020年7月26日に行われたJ1第7節ヴィッセル神戸戦でのゴールは圧巻の一言です。

宇佐美選手のみならず、ミドルシュートが得意な選手に対して「膝下の振りが速い」という表現をよく聞きます。

もちろん、表現方法は間違いではないのですが、「股関節や体幹を上手く協調させた結果」が、あの膝下が速くシュートモーションを可能にしてるわけです。

実は、宇佐美選手は専属トレーナーを雇い、肉体改造に取り組んだという話をご存じでしょうか?

2017年、2度目の海外挑戦と選んだアウクスブルクで出場機会に恵まれなかった宇佐美選手は、初めて自分の体と真摯に向き合う事にしました。

2018年開催の「ロシア杯に向けて」という考え方もあったかも知れません。

もともと、柔らかく、しなやかな筋肉をもっていた宇佐美選手でしたが、疲労を溜めない走り方や、必要な筋肉の強化など、90分を通しての体力のマネジメントを行いました。

また、宇佐美選手は、インサイドキックに近い蹴り方からコントロールが効いていて、スピードが速いシュートを、幼少期より得意としてきました。

自分の長所を伸ばす点においても、化学的な要素を取り入れたことにより、結果的にいい方向に進んだのは間違いありません。

昔の、ゴリゴリのドリブラーだった時代を見ると、今の宇佐美選手は、物足りないなんて声をよく聞きますが、昔の宇佐美選手は攻撃に特化しており、お世辞ながら、守備においては貢献度が高いとは言えない選手でした。

しかし、現在ではスライディングでボールを狩り泥臭いプレーを90分続けるなど、攻守において欠かせない存在となっています。

宇佐美選手は「怖さがなくなった」ではなく、「質が高いプレーヤーになった」という表現が正しいと言えるでしょう。

「宇佐美選手の個人記録」

ユース時代 高円宮杯全日本ユース選手権 U-15得点王 2006年
日本クラブユース選手権 U-15得点王 2006年
メニコンカップ 敢闘賞 2006年
豊田国際ユースサッカー大会 最優秀賞、得点王 2007年
第9回Frannco Gallini記念国際サッカー大会 最優秀賞 2007年
プリンスリーグ関西 U-18得点王 2008年
コパ チーバス2009得点王 2009年
第10回ビジャレアル国際ユースサッカー大会得点王 2009年9月
第10回Manel forne Pons ユースサッカー大会 最優秀選手賞 2009年
プロ時代 Jリーグベストヤングプレーヤー賞 2010年
日本プロスポーツ大賞 2010年
天皇杯得点王 2014年
Jリーグ ベストイレブン2回 2014年、2015年
Jリーグ 優秀選手賞2回 2014年、2015年
Jリーグ月間MVP 5回 J2・2013年8月、11月、J1・2014年9月、15年4月、19年11月、12月

宇佐美貴史の今後について

ガンバ大阪のエース。宇佐美貴史の今後に迫る。

ガンバ大阪について

開幕戦は黒星発進となり、スタートダッシュを飾れなかったガンバ大阪ですが、ここへきてチーム内にコロナウイルス感染者が出たことにより、最大6試合の延期、もしくはみなし開催の可能性が高まりつつあります。

今シーズンは、東京オリンピック、カタールW杯アジア予選の為、例年以上の過密日程が組まれており、特にガンバ大阪はACLに出場している為、他のクラブよりも選手にかかる負担は大きいものと言えるでしょう。

今季の目標をゴール・アシスト2桁と掲げている宇佐美選手にとっては、いい船出とはいかなかった印象です。

しかし、今季は心機一転、三冠を獲得し得点を量産した13~16シーズンの、背番号39に変更しています。

自身としても2015年以来の二桁得点、クラブとしても、何が何でもタイトルは獲得したいところでしょう。

クラブ創設30周年を迎える今季、最高の形でシーズンを締めくくる事が出来るといいですね。

日本代表について

日本代表での活動についてですが、宇佐美選手は2019年のキリンチャレンジカップ以降、日本代表には招集されていません。

しかしながら、2021年6月より、カタールW杯出場にむけてのアジア予選がはじまります。

宇佐美選手の年齢を考えると、おそらくカタールW杯が最後のW杯となるかもしれません。

もちろん、現段階でも宇佐美選手は代表においても、戦力として計算できる選手であり、2列目までこなせる彼の能力は、攻守においてオプションを付けることが可能になります。

まずは、W杯アジア予選に向けての、クラブでの活躍に期待したいですね。

移籍などの情報

宇佐美選手の今後の動向についてですが、今の所目立った移籍情報はありません。

また、彼はホッフェンハイムからガンバ復帰の際、「日本でプレーするならガンバ以外は考えられなかった」と発言しているくらいですので、よほどのことがない限り青黒以外のユニフォームを着て、プレーする事は、ほぼ無いのではないのでしょうか。

国外移籍をはさみましたが、国内においてはガンバ一筋でプレーしている選手であり、近年のサッカー界では珍しいワンクラブマンでもあります。

ぜひ、宇佐美選手には長らくチームの中心選手だった遠藤保仁選手が担ってきたバンディエラの役目を引き継いでほしいですね。