ヴィッセル神戸の心臓・日本屈指のダイナモ山口蛍の経歴・プレースタイルを解説

元ドイツ代表ルーカス・ポドルスキや元バルセロナのアンドレアス・イニエスタ、ダビド・ビジャ等、世界レベルの選手を毎年のように獲得し、話題を巻き起こしたヴィッセル神戸。外国人選手だけでなく、日本代表レベルの選手も引き連れ、その顔ぶれは日本でもトップレベルだろう。

そんなヴィッセル神戸でチームの心臓のような役割を果たしている日本人選手がいる。それが山口蛍選手だ。抜群な守備センスで相手からボールを奪い取り、瞬時に攻撃に繋げるポジティブトランディションのスイッチ役を担っている。ピッチを縦横無尽に駆け回る運動量、球際の強さも魅力で、クラブだけでなく日本代表でも活躍する日本最高峰のボランチだ。

44年ぶりのベスト4進出を果たしたロンドン五輪でもU-23のチームでレギュラーとして活躍し、その後もA代表に定着。2015年には海外移籍に挑戦したが、怪我の影響もあり古巣のセレッソ大阪に復帰。28歳の時に新たな挑戦として、ユース時代から在籍していたセレッソ大阪を離れ、ヴィッセル神戸のクリムゾンレッドのユニフォームを着ることを選択した。移籍後の2019シーズンはリーグ戦全試合出場、翌年は公式戦全試合出場を果たし、名実ともにヴィッセル神戸にとって替えの効かない選手になっている。

そこで、今回の記事では、強烈なタレントが揃うヴィッセル神戸で替えの効かない選手として活躍する山口蛍選手について、これまでのキャリアやプレースタイル、特徴を詳しく解説していく。さらには、今後の展望についても考察を交えて紹介していくので、ぜひ参考にしてみてほしい。

山口蛍のプロフィール

生年月日 1990年10月6日
国籍 日本
出身 三重県名張市
身長 173㎝
体重 72㎏
利き足
ポジション MF
背番号 ヴィッセル神戸:5
日本代表:20
タイトル ■クラブ
・セレッソ大阪U-18
JFAプリンスリーグU-18関西 – 2008年
・セレッソ大阪
Jリーグカップ:1回(2017年)
天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回(2017年)
FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2018年)
・ヴィッセル神戸
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2019年)
FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2020年)
■個人
JFAプリンスリーグU-18関西 MVP(2008年)
東アジアカップ MVP(2013年)
Jリーグベストイレブン:2回(2013年、2017年)
Jリーグ・優秀選手賞:4回(2013年、2017年、2019年、2020年)
J1リーグ・月間ベストゴール賞:1回(2017年6月)
J1リーグ・フェアプレー個人賞:1回(2020年)
J2リーグ・月間MVP:1回(2016年9月)
■代表
・U-21日本代表
広州アジア競技大会 – 2010年
・日本代表
東アジアカップ – 2013年
SNSアカウント https://www.instagram.com/hotaru10_official/?hl=ja

山口蛍の経歴

本章では、日本屈指のボランチとして、日本代表やヴィッセル神戸で活躍を見せる山口蛍選手のキャリアを振り返る。

両親の離婚を乗り越え、セレッソ大阪のユースでプロへの道を歩み始める

山口は1990年三重県名張市で生まれ、自然に恵まれた穏やかな土地で育った。「暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という両親の願いを込めて蛍と名付けられたそうだ。元サッカー選手で、社会人サッカーもやっていた父の影響もあり、幼少期からサッカーに触れてきた山口は、小学3年生の時に地元の箕曲WEST SCに入団。主にトップ下でプレーしていた。

小学4年生の時に山口にとってショッキングな出来事が起こる。父と母が離婚し、母と離れて生活することになったのだ。父のもとに引き取られた山口だが、父親は大阪の会社に通勤していたこともあり、子どもたちとの時間を作れずにいた。環境が変わったことで情緒不安定になっていた山口蛍は、通っていた小学校のプール近くでボヤ騒ぎを起こしたという。この知らせを受けた父親は、子どもたちとの時間をつくるために一念発起で会社を退社。地元で複数のアルバイトを掛け持ちして生計を支えた。

決して裕福な家庭環境ではなかったが、父親の努力もあり、その後順調に育った山口少年は、中学進学と同時にセレッソ大阪U-15へ入団。実家から片道2時間かけて電車で練習場まで通う日々を送り、中学1年生の終わりには、JFAエリートプログラムの1期生に選出された。

2006年にはセレッソ大阪U-18へ昇格。2008年にはチームの主将に就任し、JFAプリンスリーグU-18関西の優勝に貢献。自身もリーグMVPに選出された。

山口蛍はその後、自身のサッカー生活を支えてくれた父に対して感謝の想いを自身のブログに綴っている。裕福ではないにもかかわらず、サッカー用具の購入費や練習場への電車賃を捻出してくれていた。父親は今でも山口選手が出場している試合はすべてチェックしており、時にはアドバイスや激を飛ばすこともあるという。そんな父親への親孝行として、プロ入り後には父親に車をプレゼントしたそうだ。

セレッソ大阪生え抜きからキャプテンへ

ユースで順調に成長した山口は、2009年にトップチームに昇格。プロ入り2年間は出場機会に恵まれなかったが、2011年にはボランチのポジションで徐々に出場機会を増やし、J1第24節の浦和レッズ戦で公式戦初ゴールも記録するなどの成長を見せた。この年から背番号6を着用している。

2012シーズンからはレギュラーを掴み、リーグ戦30試合出場2ゴール2アシストを記録。シーズン中は攻撃的MFとしても起用されるなど、ユーティリティー性を発揮した。同シーズンは清武やキム・ボギョン等の主力の退団によりリーグ成績は14位と落ち込んだが、翌2013シーズンは山口、扇原、柿谷等の主力の躍進もあり、リーグ4位を獲得。山口自身はリーグ戦全34試合に出場し6ゴール3アシストのキャリアハイ記録を達成。Jリーグのベストイレブンにも選出された。

契約更改時には自ら志願してキャプテンに就任。しかし、第19節のFC東京戦で右膝外側半月板を損傷し、同シーズン終了までの離脱を強いられた。チームもフォルランやカカウといった欧州で活躍した助っ人の力を活かしきれず17位に低迷。J2への降格が決まってしまった。シーズンオフには海外移籍の噂や国内他クラブからの関心が報道されたが、セレッソ大阪への残留を決意した。

2015シーズンはコンスタントに試合に出場し、キャプテンとしてチームを牽引したが、J2リーグを4位で終え、昇格プレーオフ決勝で敗れ、1年でのJ1復帰を逃した。シーズン終了後には、昨シーズンにも噂されていた海外移籍が実現し、自身初の海外挑戦を発表した。

怪我に泣いたハノーファー時代

2015年12月21日、清武と酒井宏が在籍するハノーファーへの完全移籍が発表された。背番号は16。移籍金は100万ユーロ(約1億2000万円)。

1月30日のレヴァークーゼン戦でブンデスリーガデビューを果たすが。3月の代表選で鼻、眼窩底を骨折した影響でその後の試合には出場できず、公式戦6試合の出場に終わった。チームも低迷し2部への降格が決まった。

山口にとっては中学1年生から在籍していたセレッソ大阪からの初の移籍。しかも移籍先が海外ということで、新しい環境になじむのが難しかったのかもしれない。2014年のセレッソでの降格、同シーズンのハノーファーの降格と、3年間で2度もの降格を味わう苦い経験を味わった。

h3セレッソ大阪復帰。J1昇格とクラブ史上初タイトル獲得。

不振に終わったドイツ移籍。山口はわずか半年で古巣のセレッソへ復帰した。「育ったクラブを離れてみて、セレッソに対する思いが想像以上に強くなった」と自身のブログに綴っていた。わずか半年での復帰ということもあり、チームでは主力として活躍。チームのJ1復帰に貢献した。

2017年からは、ユース出身者として史上初となる背番号10番を背負い、レギュラーとしてリーグ戦32試合出場2ゴールを記録した。さらに、ルヴァンカップと天皇杯の2冠獲得にも貢献した。クラブ史上初のタイトル獲得を果たした。自身はリーグ最多のインターセプト数を達成し、2度目となるJリーグベストイレブンに輝いた。

2018シーズンからは再度チームキャプテンに就任。同年にセレッソ大阪に復帰した清武に背番号10を譲り、自身は海外移籍前の背番号6に変更した。尹監督体制2年目のセレッソ大阪はフジゼロックススーパーカップで川崎に勝利し初優勝を飾る好スタートを切った。

しかし、自身はリーグ戦33試合に出場し安定したプレーを見せたが、チームとしてはなかなか勝ちきれない試合が続き、ACL圏外となる7位でシーズンを終えた。前年に国内カップ戦2冠を達成し、リーグ戦での好成績が期待されていただけに、悔しいシーズンとなった。シーズン終了後には、退任が決まった尹監督を想い、涙を流した。

ヴィッセル神戸の躍進の立役者に。

2018シーズン終了後の12月19日に、ヴィッセル神戸への電撃移籍が発表された。中学生から在籍しており、ハノーファーでの挫折を経て約6か月間で買い戻してもらった恩もある。復帰後には生涯セレッソ宣言をしていただけに、セレッソからの移籍の可能性は低いと考えられていたが、最終的にはヴィッセル神戸への移籍を決断。年俸1億円を超えるビックオファーと前年から加入していたイニエスタらとプレーできるということも大きかったのだろう。

28歳を迎えた山口は移籍に際して、ジュニアユースから在籍したセレッソ大阪を離れるのは難しい決断ではあるものの、また一から新しいチャレンジをしたいと思いヴィッセル神戸への移籍を決断したと述べていた。背番号も長年着用した6番から5番へ変更している。

ヴィッセル神戸移籍後は開幕戦の古巣セレッソ大阪戦からさっそくスタメンで出場し、ヴィッセル神戸デビューを果たす。リーグ戦全試合にフル出場、リーグ1位のインターセプト数を記録した。さらに、ルヴァンカップ、天皇杯を合わせたすべての国内大会でゴールを記録。1月の天皇杯決勝にもフル出場し、クラブの史上初タイトル獲得に貢献した。

続く2020シーズン。フジゼロックススーパーカップでも得点を記録。試合はPK戦にもつれ込んだが、山口蛍が勝利を決めるPKを決め、クラブの初優勝に貢献した。同シーズンは新型コロナウイルスの影響で過密日程となった中で神戸の公式戦全試合出場。チームキャプテンのアンドレアス・イニエスタの不在時にはキャプテンマークを巻いて試合に出場した。ACLではクラブ史上最高となるベスト4進出。個人としては2年連続のJリーグ優秀選手に選出され、リーグ戦全34試合無警告でフェアプレー個人賞を受賞した。

移籍後3年目となる2021シーズンも替えの効かない選手として中盤に君臨している。チーム躍進のキーマンになることは間違いないだろう。

3大会連続のワールドカップ出場なるか

ここまでは、山口選手のクラブでのキャリアに注目して紹介してきたが、最後に代表キャリアについても触れていきたい。

2010年、クラブでの出場機会は少なかったが、広州アジア競技大会に出場するU-21日本代表に選出され、ボランチとして全試合に出場。史上初の金メダル獲得に貢献した。関塚監督の信頼を得て、その後のロンドン五輪アジア予選を戦った。本選のロンドン五輪U-23日本代表にも選出され、クラブでもチームメイトとなる扇原とボランチのコンビを組み全試合にフル出場を果たす。U-23日本代表はメキシコ五輪以来44年ぶりのベスト4進出の快挙を成し遂げた。

クラブでもレギュラーに定着した山口は、2013年7月の東アジアカップ2013に出場する日本代表にも選出され、第一戦の中国戦で国際Aマッチ初出場を果たした。同大会で全試合に出場し、チームの大会初優勝に貢献。さらに自身は大会MVPを受賞する華々しいA代表デビューを飾った。

2014年ブラジルワールドカップに挑む日本代表にも選出され、初戦コートジボワール戦、第2戦ギリシャ戦でスタメン起用されたが、残念ながら日本代表はグループリーグでの敗退が決定。チームは敗退したものの、FIFAが発表したグループリーグでのパフォーマンス評価で本田圭佑に次ぐ2番目の評価を獲得していた。

その後の日本代表戦でも着実にキャリアを積み上げ、ロシアワールドカップ最終予選のイラク戦では1-1で迎えた後半アディショナルタイムに劇的な決勝ゴールを挙げる活躍を見せた。2大会連続となる2018年ロシアワールドカップ本大会への出場も果たし、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦にも後半途中から出場するが、後半残り1分のベルギーのカウンターを防ぎきれず悔しい思いを残した。

森保監督体制に変わった日本代表にも召集され、2019年11月にはロシアワールドカップ最終予選イラク戦以来のゴールを記録する等存在感を示している。代表キャリアは48試合3ゴールを記録。世代交代が進む日本代表にとって経験豊富で中盤でハードワークをこなせる山口の存在は大きいだろう。2022カタールワールドカップ出場を目指す日本代表でも出場機会を得られるか。そして、3大会連続のワールドカップ出場なるか。今後の代表での活躍にも期待したい。

山口蛍のプレースタイル・特徴

日本屈指のボランチとしてクラブ、日本代表で活躍を続ける山口蛍選手。本章では、山口蛍選手のプレースタイルと特徴について、3つのポイントから解説していく。山口蛍選手の特徴を理解した上で、試合での彼の活躍に注目して見てほしい。

無尽蔵のスタミナ

山口蛍の最大の魅力は90分間決して足を止めず縦横無尽にピッチを駆け回る運動量だ。主にボランチの位置で起用され、走行距離は常にチーム上位、ボックストゥボックスでチームの心臓のような役割を担っている。

守備時にはピッチの全域をその豊富な運動量でカバーし、ボールを奪えば持ち前の攻撃センスで相手ゴールに迫る。チームのエンジンとして、大きな推進力をもたらしてくれる選手だ。

相手のチャンスを潰す守備

豊富な運動量と同時に特筆すべき点は山口蛍の守備センスだ。フィジカルを活かした退陣守備を強みとしており、タイトなマークで相手の自由を奪い、高いボール奪取力で攻撃の芽を摘み取る。

相手の攻撃を読み取る危機察知能力も高く、豊富な運動量も兼ね備えているため、相手からすれば山口一人いるだけで非常に厄介な存在だ。これまでに、Jリーグの年間インターセプト数1位を獲得する等、そのボール奪取能力はJリーグの中でもNo1の呼び声高い。

攻撃へのスイッチ

守備職人のイメージが強い山口だが、その攻撃センスにも光るものがある。国内屈指のボール奪取力でボールを回収し、そこから素早く味方に繋げ、自らも足を止めることなく相手ゴール前に顔を出す。攻撃へのスイッチを入れることができる選手だ。

ヴィッセル神戸に移籍後は、これまでのボランチのポジションから1つ前のインサイドハーフでの起用も増え、攻撃面での能力さらに発揮している。ユース時代には攻撃的なポジションでプレーしていたこともあり、タイミングの良い前線への飛び出しや足元にピタリと合わせるロングフィード、ゴール前での冷静さ、ストライカー顔負けの決定力等、抜群の攻撃センスを持ち合わせている。

攻守両面でここまで貢献できる選手は日本には少ないだけに、日本屈指のMFに数えられる。

山口蛍の今後について

最後に、山口蛍選手の今後の展望について、クラブ、代表、移籍情報それぞれについて考察していく。

ヴィッセル神戸について

中学時代から在籍していたセレッソ大阪を離れ、2018年にヴィッセル神戸への電撃移籍が発表された。ヴィッセル神戸では加入後2シーズンに渡ってリーグ戦全試合に出場している。クラブ史上初となるタイトル獲得にも貢献し、自身も副キャプテンとしてチームを牽引する存在だ。

国内外からの積極補強を施し、チームの強化を図るヴィッセル神戸にとって次の目標はリーグ制覇だろう。替えの効かない選手としてチームを引っ張る山口蛍がヴィッセル神戸の躍進のキーマンになることは間違いない。今年31歳とキャリアの終盤が見えてきた山口にとって、この1年は勝負の年になるはずだ。クラブ初、自身初のリーグ制覇に向けて今後の活躍に注目していきたい。

日本代表について

セレッソ大阪、ヴィッセル神戸で着実に成長を続けている山口蛍は、森保ジャパンでも代表招集を受けている。現在日本代表の中盤の競争をリードしているのは、柴崎と遠藤航の2人と見られているが、経験豊富な山口蛍がそのポジションを勝ち取る可能性は大いにある。コロナパンデミックもあり、満足のいく代表選が行えていないが、最近のコンディションを維持できれば主力としてカタールワールドカップ予選、そして本大会に出場することも可能だろう。

移籍情報、契約更新

2018シーズン終了後の12月にヴィッセル神戸へ年俸1億円超の3年契約で移籍。今シーズンが契約満了の年になるが、契約更新や移籍の情報については報道されていない。

なお、年俸1億円という数字はチームメイトの酒井高徳に次いで日本人で2番目に高い数字だ。仮に今シーズン限りでヴィッセル神戸を離れるとしても、コロナパンデミックで各クラブ財政が悪化している状況で、高額の年俸になる山口蛍を獲得できるチームは限られてくるだろう。