日本サッカー史上最高のアンカー・阿部勇樹の経歴・プレースタイルを解説

今回は浦和レッズのアンカー阿部勇樹選手を紹介します。ジェフ千葉時代は和製ベッカムと呼ばれフリーキックのスペシャリストでしたが、年齢を重ねるうちに中盤の底のポジションでゲームメイクする才能が開花し南アフリカワールドカップで活躍。プレミアリーグ・レスターに移籍。岡崎慎司選手より先に日本人初のレスター所属選手でもあります。そんな阿部勇樹選手のプレースタイルを紹介していきます。

阿部勇樹のプロフィール

生年月日 1981年9月6日
国籍 日本
出身 千葉県市川市
身長 178㎝
体重 77㎏
利き足
ポジション MF
背番号 浦和レッズ:22
タイトル J1リーグ 1stステージ:1回(2015年)
J1リーグ 2ndステージ:1回(2016年)
Jリーグカップ: 1回(2016年)
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2018年)
AFCチャンピオンズリーグ:2回(2007年、2017年 )
スルガ銀行チャンピオンシップ:1回(2017年)
個人
Jリーグベストイレブン:4回(2005年、2006年、2007年、2016年)
Jリーグ優秀選手賞:8回(2005年、2006年、2007年、2008年、2012年、2014年、2015年、2016年)
J1リーグMYアウォーズ ベストイレブン:1回(2016年)
Jリーグカップ ニューヒーロー賞:1回(2005年)[19] Jリーグカップ ベストイレブン:1回(2005年)
彩の国スポーツ功労賞:1回(2010年)
市川市名誉市民・市民栄誉賞:1回(2010年)
SNSアカウント https://twitter.com/daikichi22abe?lang=ja

阿部勇樹の経歴

38歳阿部勇樹選手のサッカー人生は、兄の影響を受けて始まりました。

兄の影響でサッカーを始める

兄の影響で幼少の頃からサッカーに親しみ小学校6年生時、ジェフのユースセレクションに合格。千葉県の高校サッカーの伝統校である市立船橋高校からの誘いもあったものの、ジェフ市原ユースを選択。当時は優秀な選手は強豪校を選択することが多かったので珍しいものでしたが、この選択は大正解でした。ジェフ千葉ユースで頭角を現した阿部勇樹選手は高校サッカーでは考えられないスピードで出世していきます。

高校生でレギュラー獲得・ジェフ千葉

1998年16歳と333日でJ1出場を果たし、最年少記録を打ち立てました。翌年にはシーズン30試合出場を果たしていて高校生でいながらJ1でレギュラーポジションを掴むという高校サッカー部ではできない経験値を積みます。

2003年オシム監督がジェフの監督に就任するとオシムは当時既に国際経験や実力を備えながらも前面に出ようとしていなかった阿部を21歳でキャプテンに抜擢。

2005年のJリーグ戦では守備的MFながら12得点を決め攻守に中心選手として自覚が出たことで成長を果たします。

名実ともにJリーグ最高の選手へ・浦和レッズ

2007年当時国内最高額といわれる移籍金(推定3億5千万円)で浦和レッズへ移籍。長谷部誠選手、鈴木啓太選手と中盤を構成して移籍1年目でアジアチャンピオンズリーグ制覇に貢献するなどチームの中心選手へ成長します。3年連続でJリーグベストイレブンに選出され、FIFAクラブワールドカップ2007では、浦和からただ1人、大会のMVP候補8人の1人に選ばれています。ちなみにこのときのMVPはカカ(ACミラン)でした。

レスター・シティ移籍は成功したのか

2010年W杯終了後、オランダ・エールディビジのフェイエノールト、VVVフェンローからオファーがありましたが、イングランド2部のレスター・シティFCが3年契約での正式オファーを出し、基本合意。レスター・シティではレギュラーポジションを獲得して評価も高かったものの家族との時間を大切にしたいとの希望があり双方合意の上で契約解除。レスター・シティでのフロントやサポーターの阿部勇樹選手への高い評価がその後、岡崎慎司選手へのオファーに繋がりプレミアリーグ制覇へ結びついています。ちなみにオシム監督は阿部勇樹選手がすぐに帰国することを見抜いていました。

浦和レッズ・オシムの弟子との出会い

2012年、1月24日に浦和レッズに復帰。ミハイロ・ペトロヴィッチ監督からチームキャプテンに指名された。オシム監督と師弟関係にあるミハイロ・ペトロヴィッチ体制で阿部勇樹選手はチームの中心的役割を任されています。ボランチの位置から最終ラインに降りて可変式ビルドアップのスイッチ役を担いました。2012年から2017年まで年間33~34試合出場を続け6年間事実上のフル稼働を続けています。2017年浦和レッズで成績不振に陥ったミシャ監督が解任され、2018年以降は、世代交代を図るためか出場機会を減らし続け、2018年28試合、2019年11試合、2020年は3試合出場に終わり、このまま引退かと思われましたが、2021年リカルド・ロドリゲス監督が就任して再びキャプテンに指名され、開幕スタメンを勝ち取っています。リカルド・ロドリゲス監督とミハイロ・ペトロヴィッチ監督はともにポゼッションを主体としたサッカーで共通点が多く、阿部勇樹選手は39歳ながら戦力として再び必要とされるようになっています。同世代では大久保嘉人選手が監督が代わったことで蘇っていますが、リカルド・ロドリゲス監督との相性は良さそうですからコンディションさえ維持できるとレギュラーとして活躍するのではないでしょうか。

日本代表

ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出されてきた。2003年、東アジアサッカー選手権でA代表初選出されて以降ジーコ、オシム、岡田監督の下で代表選出されています。2010年南アフリカワールドカップでは本大会直前でシステム変更しアンカーポジションで全4試合に出場しグループステージ突破へ大きく貢献しました。引退していた中田英寿氏からベストプレーヤーに挙げられる活躍ぶりでした。

阿部勇気のプレースタイル・特徴

ベテランの域に達した阿部勇樹。ポジションはボランチやセンターバックです。詳しく、プレースタイルを見ていきましょう。

ロングキック能力は今もなお健在なのか

阿部勇樹選手はロングキックの名手として知られ、若手時代は和製ベッカムと呼ばれ強烈なカーブが掛かった直接フリーキックを決めるなどプレースキッカーを務めることが多かったですが、年齢を重ねるとともにセットプレーのキッカーは務めなくなり、ロングフィードも蹴る回数が減っています。怪我の影響とも指摘されていますが、39歳ですし衰える部分があっても不思議ではありません。

危機察知能力

ポジショニングに優れ、攻撃の芽を摘む役割をやらせたら素晴らしい能力を発揮します。中央から相手の攻撃をサイドへ追いやり、追い詰めたところでインターセプトするなど狙いをもって守備が出来るという点で危機察知能力に優れていて、セカンドボールの回収率も高く南アフリカワールドカップでは攻撃陣が自由に振る舞えるのは阿部勇樹選手のポジショニングにリスク管理能力があったからでした。

対人守備の強さ

阿部勇樹選手は身長が178㎝と決して大きくはないですし身体能力に特別優れているわけではないですが、代表でアンカーポジションを任せられるのは対人守備能力が強いからです。ポジショニングが良く、やらせてはいけないコースに入り込むことが上手く、無理に身体をねじ込もうとするとボールを絡めとってしまいます。先に身体を入れられるとカード覚悟で止めるところも含めて対人守備能力が高いといえるでしょう。前述した危機察知能力と対人守備能力は阿部勇樹選手の場合は繋がっている能力だと思います。

阿部勇樹の今後について

阿部勇樹選手は39歳ですが今後について予想してみました。

浦和レッズで引退か?

2021年は2017年以来のキャプテンに就任していて開幕戦でスタメン起用されています。リカルド・ロドリゲス監督からの評価が高く、中心選手として考えられているようです。リカルド・ロドリゲス監督体制が続く限り阿部勇樹選手は必要とされるでしょう。リカルド・ロドリゲス体制が長期化するなら引退後そのままコーチングスタッフ入りもあり得るかもしれません。

移籍情報、まとめ

阿部勇樹選手の2021年の推定年俸は6000万円とされています。39歳でこれだけもらえるのは、これまでの貢献の証ともいえますし移籍する理由はどこにもありません。このまま浦和レッズでプレーして引退する可能性が高いですね。個人的にはJリーグオールスターゲームの練習でロングパス練習がスバ抜けて上手かった思い出があります。展開力と守備力を兼ね備えたオールラウンダーなボランチですね。