右足から高精度クロスを連発する水沼宏太はマリノスの誇りを胸に戦う

2020年、10年ぶりに横浜F・マリノスに帰ってきた水沼宏太選手。もとは下部組織育ち、父もマリノスOBのレジェンドというバックボーンをもつ選手です。一度はマリノスには二度と戻らないと心に決めて、セレッソ大阪など複数のクラブで結果を残してきました。

プレーの特長としては、右足からの正確なクロスと豊富な運動量。ピッチの中ではもちろん、途中で退いてもピッチ外から仲間にポジティブな声掛けを続けます。頼れる存在でありながら、また親しみのある兄貴分としてチームを盛り上げてくれます。

水沼宏太のプロフィール

 

生年月日 1990年2月22日
国籍 日本
出身 神奈川県横浜市
身長 176㎝
体重 72㎏
利き足
ポジション MF
背番号 18
タイトル ルヴァン杯(2017)
天皇杯(2017)
ゼロックススーパー杯(2018)
SNSアカウント Twitterhttps://twitter.com/mizunumakota
Instagramhttps://www.instagram.com/kota_mizunuma

水沼宏太の経歴

父は、元日本代表!?水沼宏太の経歴を解説。

日本代表、マリノスの看板選手である水沼貴史の息子と呼ばれてプロ入り前

 水沼宏太選手の父・貴史氏は、現在の横浜FMの前身である日産自動車から横浜マリノスに進み、日本代表でも長く活躍した往年の名選手です。1歳のころからボールを蹴り始めて、最初に入った横浜市内のクラブ、あざみ野FCではフォワードとして後に横浜FMでもチームメイトとなる金井貢史(現・甲府)とともに活躍しました。

 偉大な父と比較されたり、父の七光りによって厚遇されているというようなあらぬ批判も受けてきましたが、世代別の日本代表では城福浩監督(現・広島監督)からキャプテンを任せられるなど、結果を出して周囲の評価を勝ち取ってきました。

17歳でのプロ入り、横浜F・マリノスでぶつかった壁

 ユースへの昇格が危ぶまれるなど決して順風満帆とは言えない、育成組織時代でしたが、高校3年時には17歳にしてJ1リーグ戦でデビュー。翌2008年より横浜FMの一員としてプロキャリアをスタートさせます。しかし、2年間のリーグ戦の出場試合数は10、12試合で得点はゼロ。ナビスコ杯で、味方GKが退場処分を受けた際にすでに交代枠を使い果たしていたことから、泣く泣くGKを任されたことが逸話に残っています。本来のポジションではインパクトを残せずにいたというのが実情でした。

栃木SCで右サイドハーフの地位を確立、五輪代表に挑む

 プロ3年目の夏にJ2、栃木SCへの期限付き移籍を決断します。ロンドン五輪のメンバー入りを目指していたこともあり、試合出場を優先した結果の選択でした。

 その栃木では、右サイドハーフで早々にレギュラーに定着すると、右足からの好クロスを連発し、自らの武器を証明してみせました。2年間でリーグ50戦に出場し、プロ初ゴールを含む7得点を記録しました。これはJリーグ史上初の、親子で得点を記録した初めてのケースとして歴史に名を刻んでいます。

日本代表(アンダー世代)
 15歳以下の日本代表に選出されて以降、毎年のように代表に名を連ね続けました。チームの雰囲気を良くしようと意識して振る舞うことのできる、キャプテンシーあふれる選手です。結果的に15歳から22歳まで年代別の日本代表に選ばれ続けたのですが、そのために水沼選手が意識したのは豊富な運動量でチームに貢献することでした。現在も、運動量が多いことで知られる水沼選手の基礎はこの時期に築かれたと言えるかもしれません。

U-17のW杯に出場したほか、2010年のアジア大会でも若手主体での金メダル獲得に大きく貢献しました。

海外移籍ならず、そしてサガン鳥栖へ

 2011年に栃木を契約満了で退団すると、水沼選手は海外移籍を模索してルーマニアのクラブのテストを受けます。合意にいたらず帰国すると「その間待っていてくれた」というサガン鳥栖への入団を発表。J1昇格した初年度の鳥栖でレギュラーとしてリーグ33試合に出場しました。エースである豊田陽平のゴールを演出する素晴らしいアシストを供給しています。

鳥栖は残留争いが見込まれていたものの、J1昇格クラブとしては異例の5位に食い込みます。その躍進を支えた活躍が認められて、翌2013年からは完全移籍。2015年までの4年間、ほぼ主力としてプレーし続けます。「偉大な父」の息子と呼ばれていた時代から、「一流Jリーガー水沼宏太」へと周囲の評価が定まった時期だったと言ってよいでしょう。

2016年、恩師からのオファーでFC東京に移籍

16年、FC東京への移籍を決断します。4年在籍した鳥栖からは契約延長のオファーを受けていましたが、それでも東京を選んだのは年代別の日本代表で水沼選手を主将に任命した恩師、城福監督がFC東京の新監督に就任したことが大きく影響したと言われています。水沼選手はその期待を受けて、初めてACL(アジア・チャンピオンズリーグ)にも出場し、決勝トーナメントでは中国の強豪である上海上港から得点を奪うなど活躍をしました。

ところがFC東京は春から成績不振で、7月には城福監督が解任されてしまいます。後任となった篠田善之監督には、水沼選手は重用されず、J3リーグ戦に若手とともに出場するという経験を味わいました。アジア最高峰で戦っていたはずが、気が付けばJ3戦という振れ幅の大きな1年を過ごすこととなりました。

セレッソ大阪では念願の自身初タイトルを獲得

 FC東京で構想外になっていたこともあり、2017年にはセレッソ大阪への期限付き移籍を選択します。この年の水沼選手は好調で、清武弘嗣選手が怪我で離脱していたこともあり、右サイドハーフでの出場を続けます。古巣のFC東京戦では2アシストを記録したほか、天皇杯準決勝ではリードを許しながらもアディショナルタイムに値千金の同点ゴールを記録。さらに決勝ではこれまた古巣である横浜FMを相手に延長の死闘に終止符をうつ決勝ゴールをあげました。「古巣絶対殺すマン」としての地位を確立して、古巣サポーターには大いに恐れられていきます。

この年、セレッソ大阪はルヴァン杯と天皇杯の二冠を達成。チームにとっても、水沼選手にとってもプロ入り後の初めてのタイトルとなりました。2019年終了時点で、Jリーグ通算300試合出場を達成し、20代後半というキャリアも後半に差し掛かっていました。

まさか!10年ぶりの古巣・横浜F・マリノス復帰でこみ上げたもの

2019年、古巣の横浜FMがリーグ優勝を飾ります。「確かに今年のマリノスは強かったな」という水沼選手の感想。そんなところにその優勝チームから、まさかの復帰要請が届いたのです。

当時活躍できずに失意のもとに脱ぐことになったトリコロールのユニフォーム。間違いなく彼にとって挫折の経験でした。「マリノスになど二度と戻るものか」と誓ったはずなのに、気づいたのはこみ上げてくるマリノスへの深い愛情でした。今の自分を作ってくれたのはマリノスでの経験。チャンピオンになったタイミングで、自分を必要だと言ってくれたこと。水沼選手が10年ぶりとなるマリノスへの帰還を決断するのにそう長い時間はかからなかったと言います。

年齢を下から数えたほうが早かったはずが、復帰した際に水沼選手より年上なのはごくわずかでした。大津祐樹、扇原貴宏、朴一圭らとともに、若手が伸び伸びと活躍しやすい、相談しやすい環境を作るのに気を配りました。

 そして、以前に所属していたときには記録できなかった「マリノスでの初ゴール」もあげました。これで横浜FMのクラブ史上初となる親子得点記録者となりました。

2021年はタイトル奪還を目指す年です。前年のキャリアハイである10アシストを超える活躍が期待されています。

水沼宏太のプレースタイル・特徴

プレーでも声でも光るものがある水沼宏太のプレースタイルに迫る。

右足からの正確なクロスは脅威

 水沼選手の最大の武器は、右足から繰り出される正確無比なクロスです。現在のJリーグにおける最高のクロッサーの一人と言えるでしょう。中央に陣取る味方FWが叩きこみやすいボールであることに加えて、相手GKが飛び出せない絶妙な距離にボールを送り込みます。守備側とすれば、いやらしい、守りづらい選手と言えるでしょう。

横浜FMのスタイルにも適応する器用さ

現在、横浜FMでウィングプレーヤーに求められている第一の資質は速さです。その点、仲川輝人や前田大然など超のつくスピード自慢が多い中では、水沼選手はごく平均的なスピードしかありません。その点において、冗談交じりに「マリノスではまるで足が遅いかのように扱われるほど、周りの選手が速すぎる!」と語っています。それでも試合にコンスタントに出場しているのは、上述したクロスの能力ほか、特殊な長所を持っているからでしょう。縦に速い横浜FMのスタイルに必死に順応する身体能力とともに、自分の長所を生かすという賢さもあわせもった選手です。

誰よりも声を出す、味方への鼓舞は効果絶大!がすごい

20年シーズンはコロナの影響もあって、観客が声を出せない環境だったためにピッチ内でどのようなコーチングがされているのか、選手同士の声かけの様子が今まで以上にクローズアップされました。今までは到底放送されなかったような声まで、現地のマイクが拾うようになりました。

その結果、明らかになったのは水沼選手の声掛けの激しさでした。

出場中はもちろんのこと、途中交代でピッチを退いてからも水沼選手の声は誰よりも大きく、そして誰の声よりも頻繁に静かなスタジアムに響き渡っていました。

内容はポジティブなものばかりで、声をかけられた味方選手からすれば奮い立つようなものです。ここにも水沼選手の実直な性格が表れています。

隠しきれない強いマリノス愛

直接のプレーとは離れた点でどうしても強調したいことが、この「マリノス愛」についてです。上述の通り、当初は「マリノスになど戻るものか」と感じていたものの、いざ古巣に復帰すると以前にも増して憧れのクラブであるマリノスへの愛情を隠そうとしませんでした。

とくに若手選手を食事に連れ出したり、ファン・サポーターとの交流を大事にしたり、スポンサーへの感謝のを思いを口に出すなど、チームのためを思った大人の行動は特筆すべきものがあります。

現在はチームの最年長クラスとなりました。若い選手が多い中で、彼らがのびのびとプレーできる環境を整えることも年長者の務めだとして、積極的に取り組んでいます。

このような選手がいるチームはまちがいなく雰囲気がよくなり、チームとしての力も想像以上に発揮されるのではないでしょうか。

水沼宏太の今後について

横浜F・マリノス所属・水沼宏太のさらなる活躍を期待しよう。

横浜F・マリノスについて

10年ぶりに生まれ故郷でもある横浜に帰ってきて2年目のシーズンを迎えています。自身が加入した年は、いずれのタイトルも獲得できなかったため、水沼選手は大変悔しい思いをしました。その分、2021年シーズンにかける意気込みは強いものがあります。チームのよきムードメーカーとしてはもちろんのことですが、レギュラーの座を奪って、チームの優勝に貢献したいという思いは人一倍でしょう。ポジションは現在の3トップの場合は、右FWで仲川輝人選手らと争います。今季の新システムの場合はもう一列後ろの右ウィングバックという可能性もあります。

移籍などの情報

波乱万丈を経て再び袖を通した伝統のトリコロールのユニフォームに愛着を感じていることは普段の様子からも明らかです。また横浜FMサイドとしても、長く活躍してもらいそのキャプテンシーによって引退後もクラブに残って貢献してほしいと思っているのではないでしょうか。

若い時には果たせなかったマリノスでのゴールは達成しました。今度はマリノスでのタイトル獲得。水沼選手の挑戦は続きます。