一生忘れられない『ロストフの14秒』昌子源のプレースタイルを解説

あと何センチだっただろう。追いかけても追いかけても追いつかなかった。2018年ロシアワールドカップ決勝トーナメント1回戦のベルギー戦。2-2の同点で迎えた後半終了間際、昌子源は、味方コーナーキックから「ロストフの14秒」と語り継がれる衝撃的な高速カウンターを全力で追いかけ、最後は滑り込んだが、止められず、逆転負け。掴みかけた初のベスト8を逃した。うずくまり、地面をたたき、悔しがる昌子源の姿を思い出す人も多いだろう。一生忘れられない悔しさを味わったが、代えがたい経験値を得た。 ファルカオ(コロンビア)、マネ(セネガル)、ルカク(ベルギー)…。世界と対等に戦った日本が誇るCB昌子源は、さらなる高みを目指し、ワールドカップ後にフランスに渡り、武者修行を敢行。昨年からは頭脳派センターバックとして名をはせた宮本恒靖監督が率いるG大阪に移籍。その存在感は日に日に増すばかりだ。

昌子源のプロフィール

 

生年月日 1992年12月11日
国籍 日本
出身 兵庫県神戸市
身長 182㎝
体重 76㎏
利き足
ポジション DF
背番号 G大阪:3
日本代表:3
タイトル 【鹿島時代】
・Jリーグカップ:3回(2011年、2012年、2015年)
・J1リーグ:1回(2016年)
・天皇杯 :1回(2016年)
・FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2017年)
・AFCチャンピオンズリーグ:1回(2018年)
【個人】
・Jリーグベストイレブン:2回(2016年、2017年)
・Jリーグ優秀選手賞:3回(2014年、2016年、2017年)
・J1リーグMYアウォーズ ベストイレブン:1回(2016年)

昌子源は、高校時代にFWからセンターバックにひょんなことからコンバートし、才能が開花。2011年、名門・鹿島からプロキャリアをスタートさせ、対人守備の強さ、カバーリング、そして、足元のテクニックを武器に活躍。14年にレギュラーを奪取し、Jリーグ優秀選手賞を獲得すると、日に日に存在感が増していった。鹿島で多数のタイトル獲得に貢献すると、18年ロシアワールドカップでは大会直前にレギュラーを掴み、16強に貢献。
その後、フランスのトゥールーズに移籍し、海外挑戦。名だたるストライカーと対峙してきた。
昨年2月にG大阪に移籍し、国内復帰。ジュニアユース時代に所属していた〝古巣〟ガンバでのタイトル獲得に向け、21年シーズンに挑む。

昌子源の経歴

順風満帆ではなかった昌子源のサッカー人生の幼少期から今に至るまで!

度重なるケガや宇佐美の壁、一度諦めたサッカー。

1992年兵庫県神戸市に生まれ、小学4年生の時に、フレスカ神戸U-12で本格的にサッカーを始める。この時のポジションはFW。中学生になるとG大阪ジュニアユースに入団。当時のチームメイトに宇佐美貴史(G大阪)や大森晃太郎(磐田)がおり、中学1年時は共に同じピッチに立ってプレーをしていた。しかし、時が経つにつれて挫折を味わうようになる昌子源は、当時ずば抜けたセンスで全国に名をとどろかせていた宇佐美に実力差を見せつけられ、昌子自身も中学2年に入る頃に負傷した膝のせいで満足にプレーできない日々が続いた。すると、中学3年の途中でG大阪のジュニアユースを退団してサッカーを諦めてしまう。

昌子源の父、力さんの言葉

 空白の時間を過ごしていた昌子源だったが、ここで父の力(ちから)さんが手を差し伸べる。力さんはサッカーの指導者でJFA公認S級ライセンス保持者。過去にはヴィッセル神戸U-15、ユースチームの監督やJFAナショナルトレセンのコーチを務めるなど、様々なカテゴリーで30年以上指導してきている人物だ。
 当時、力さんは指導者のつながりで親交のあった、米子北高の中村真吾コーチ(現・監督)から進路が決まっていなかった昌子源の練習参加を提案され、県外の高校進学を息子に勧めた。昌子源は練習参加で久しぶりにサッカーを楽しく感じ、当初は高校でサッカーを続ける意思は無かったが、練習参加がきっかけとなり、米子北高校へ進学が決まった。

米子北高時代の転機

 米子北高校にはFWとして入部したが、中々試合には出られず結果も出す事ができなかった。そんな中、高校1年の夏のことだった。国体鳥取県選抜の一員として、ガイナーレ鳥取(当時JFL)と練習試合で戦況をベンチ見つめていたが、CBがケガをしたとき、県選抜の監督を務めていた中村コーチの隣にたまたま座っていた昌子源に声がかかった。なんと初体験のポジションで急きょピッチに立った。当時、ガイナーレには、コートジボワール人のFWが在籍していた。小柄ながら圧倒的なパワーとスピードを併せ持つFWを相手に堂々とプレー渡り合った昌子源は程なくして、センターバックへの転向が命じられる。ここからメキメキと頭角を表すことになり、高校3年生の時にはU-19日本代表候補に招集される程になっていた。

鹿島アントラーズでの飛躍

 2011年に鹿島に高卒で入団。背番号は「23」。昌子源の同期には柴崎岳、土居聖真らがいた。プロ4年目の14年には定位置を獲得。リーグ戦では自身初の全試合出場を果たし、優秀選手賞を獲得した。同年ごろからA代表にも選出され始め、15年3月、ウズベキスタン戦にフル出場してA代表デビューを果たした。同年からは秋田、岩政と鹿島のディフェンスリーダーが背負ってきた背番号「3」を受け継ぎ、16、17年にはJリーグベストイレブンに選出される。

 日本代表として挑んだワールドカップ

18年6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出されると、直前の国際親善試合パラグアイ代表戦で槙野智章(浦和)に代わりスタメンに起用され、勝利に貢献し、本番ではJリーグ唯一のレギュラーとして活躍。背番号「3」を背負い、全4試合中3試合にフル出場した。決勝トーナメント1回戦ベルギー戦では2点リードから追いつかれ、同点で迎えた後半ロスタイムに「ロストフの14秒」と語り継がれる高速カウンターを止めるべく、味方コーナーキックをキャッチされた瞬間から猛ダッシュで追いかけたが、追いつかず、目の前で悲劇を味わった。

 ファルカオ(コロンビア)、マネ(セネガル)、ルカク(ベルギー)といった世界トップレベルのFWと渡り合ったことで同年夏には巨額オファーを受けるも鹿島でACLを優勝する事を目標にオファーを断った。提示額は日に日に上がり「5億」と報じられたが、実際はもっと上。「日本人最高額として今後、抜かれることがないと思われる」ほどの金額だったという。

 しかし、7月に左足首を負傷し約3カ月離脱。11月には有言実行のごとく、キャプテンとしてAFCチャンピオンズリーグを優勝。これを置き土産に18年12月、フランス1部・トゥールーズに移籍する。鹿島では通算157試合に出場し、8得点。

世界を経験した昌子源がガンバ大阪に

 移籍金は300万ユーロで、背番号は「3」。19年1月19日、第21節のニーム・オリンピック戦でスタメンでデビューを果たした。以降、シーズン終了までレギュラーとして18試合に出場。チームの1部残留に貢献した。しかし、2年目の今シーズンは度重なるケガの影響もあってわずか1試合の出場にとどまり、シーズン途中の20年2月に退団。G大阪に移籍し、Jリーグ復帰する。

 G大阪では移籍金は200万ユーロでガンバ大阪とは5年契約を結んだと報じられた。移籍当初はケガで出遅れたものの、夏ごろから試合に出始め、チームは9月19日の札幌戦からは12戦負けなしをマーク。17年は10位、18年は9位、19年は7位と近年成績が振るわなかったG大阪だったが、20年シーズンは2位と躍進を遂げた。

昌子源のプレースタイル・特徴

182センチ、76キロとセンターバックの中では決して大柄とは言えない昌子源のプレースタイルについて言及!

圧倒的な対人守備の強さ

圧倒的な身体能力で相手をつぶしていくタイプではないが、ロシアワールドカップをはじめ、世界のストライカーをシャットアウトしてきた。それは「対人守備の強さ」が秀でているからだ。相手の動きを読み取り、チャンスと見るや一気に相手に体を寄せボールを奪取していく。安定感もあり、見ていて心強いDFだ。スピードを生かしたカバーリングも得意とし、日本のように組織として守るチーム、また、鹿島時代にコンビを組んだ植田直通(ニーム)のような前に強い相棒がいる場合、その能力は際立つ。

DFでありながら巧みな足元の技術

 そして、昌子源の大きな特徴は足元のテクニックだ。ボール処理能力に長け、簡単にクリアをせず、最終ラインで相手をいなして、味方にボールをつなぎ、攻撃の組み立ての起点となる。フィードもうまく、縦パスで攻撃のスイッチを入れることもできる。これは幼少期に攻撃なポジションを経験したことに尽きるだろう。

Twitter上でも「昌子源選手の対人の強さが際立っていました。ワールドクラスの選手とのデュエルは素晴らしい経験になったでしょうし、フィジカルの強さは日本代表としても大きな盾となるでしょう」「昌子源カバーリングうますぎやん。フィードもいいし麻也と愛称良いな」など昌子源のプレーに対する声が上がっている。

昌子源の今後について

サッカーを諦めかけたときに父から励ましの言葉を受けて、プロの世界に飛び込み、今では、世界を経験し、日本を背負う存在になった昌子源。ガンバ大阪で最後の砦が代表に戻って来る日は来るのだろうか。

G大阪でタイトル奪取!そして代表復帰へ

今季の昌子源はG大阪でタイトル奪取に燃える。昨季は宮本体制最高のリーグ2位。主力が残留し、戦力も上積みできた。日本代表DF・三浦弦太、韓国代表DF・キム・ヨングォンと能力の高いDFが揃っており、昌子源は三浦とのレギュラー争いに勝ち、ヨングォンとセンターバックを組むのが大方の予想。昨季悩まされた足首の痛みから復調し、シーズン通してパフォーマンスが維持できればかなり手堅い守備陣となる。5年契約の2年目となるため、移籍のうわさなどはない。現在の市場価格は200万ユーロとも報じられている。

 代表に関しては森保ジャパンになってからは19年に4試合に招集され、3試合にスタメン出場。19年後半から20年にかけてはケガもあり所属クラブでも出場していなかったことと、コロナで代表戦自体がなかったことで代表からは遠ざかっている。

 現在、代表センターバックは吉田麻也(サンプドリア)と冨安健洋(ボローニャ)がレギュラーという見方が大方だろう。しかし、まずは足首のケガから復調し、安定したパフォーマンスができれば、ワールドカップで世界と戦えた実績を見ても、代表招集は手の届くところにあるだろうし、森保監督の頭の中にあるはずだ。2022年カタールワールドカップは29歳で迎える。年齢的にも円熟味が増し、日本の盾になるようなパフォーマンスを期待したい。