仲川輝人はなぜ遅咲きのMVPとなったのか、一瞬のスピードを生かすプレースタイルを解説

横浜F・マリノスといえば日産。日産が誇るスーパーカーといえばGT-R。ハマのGT-Rと呼ばれる仲川輝人選手はその名の通りスピードが魅力です。トップスピードの速さ、ドリブルのキレ、両足で蹴れる正確なシュートでゴールを量産する、2019年J1のMVPプレーヤーです。なぜ一気に輝貴を放ったのか、その理由と、そこまでの挫折と努力に迫ります。

仲川輝人のプロフィール

生年月日 1992年7月27日
出身 神奈川県川崎市
身長 161㎝
体重 57㎏
利き足
ポジション FW(右WG)
背番号 横浜F・マリノス:23
日本代表:10
タイトル ■クラブ
横浜FM J1リーグ(2019)
■個人
JリーグMVP(最優秀選手賞):1回(2019)
Jリーグベストイレブン:1回(2019)
J1リーグ・得点王:1回(2019年)
J1リーグ・月間MVP:1回(2019年10月)
J1リーグ・月間ベストゴール:1回(2018年9月)
SNSアカウント Twitter=https://twitter.com/ternp7
instagram=https://www.instagram.com/nakateru0727/

仲川輝人の経歴

2019年に大ブレークを果たして、15得点をあげて得点王となったうえに、MVPもダブルで受賞。一気にJリーグの顔を飾る選手の一人として躍進しました。プロ入り直前の大学4年時に、選手生命を危ぶむような大怪我に見舞われ、その後は公式戦の出場すらままならないような日々を過ごします。紅白戦のメンバーにも選ばれなかったころから、わずか1年でのMVPへの下剋上。リーグ屈指のスピードスターが誕生したのはなぜだったのでしょうか。

川崎フロンターレの下部組織で育ち、専修大学から複数のJクラブの争奪戦の末、横浜F・マリノスに加入したものの、しばらくはリハビリ。そしてJ2クラブへと期限付き移籍を余儀なくされるも思うように結果が残せませんでした。しかし横浜FM復帰後も、公式戦にほとんど出られなかった彼はたった一度のチャンスをものにしたのです。

フロンターレの下部組織一筋。トップに上がれず大学で開花

仲川選手は、新町ジュニアーズSC・川崎フロンターレスクール(川崎市立新町小学校) – 川崎フロンターレU-15(川崎市立渡田中学校)– 川崎フロンターレU-18(日本体育大学荏原高等学校) という経歴で、川崎の下部組織一筋で育っています。しかし、トップ昇格はかなわず、悔しさとともに専修大学へと進学。ここでは1年のときから試合に出場して活躍しました。実は専修大学サッカー部は、折しも黄金時代を迎えていました。同級生に北爪健吾(現・柏)、1学年上に長澤和輝(現・名古屋)、下田北斗(現・大分)などJリーガーを多数輩出。自身も自慢の俊足を生かしたプレーで得点王を獲得する活躍で関東大学リーグ4連覇という偉業を達成します。

大怪我でも変わらずにオファーを出してくれた横浜F・マリノスに入団(2015)

大学4年時には、大学ナンバーワンアタッカーという評価は不動のものとなっており、横浜FMや浦和、下部組織で育った川崎、清水などのJ1クラブの間で「仲川争奪戦」が繰り広げられていたと言われます。しかし試合中に、右ひざの前十字靭帯、側副靭帯を断裂するという選手生命を左右しかねない大怪我に見舞われます。それでも「オファーを取り下げる気はない、うちで治療して」と熱心に誘ってくれた横浜FMへの加入を決断した仲川選手ですが、憧れのプロ生活は、長く険しいリハビリの日々とともにスタートしました。その後、プレーできるようになったものの大学時代のようなキレが戻らずに苦しみます。

出場機会を求めて…FC町田ゼルビアへの育成型期限付き移籍

ルーキーイヤーの2015年後半にようやく怪我が癒えてリーグ2試合に出場。しかし翌2016年もリーグ前半を終了したところで4試合の出場にとどまっていました。即戦力が期待される大学卒業選手としてはきわめて厳しい結果です。なんとか試合の出場機会を得たいと、J2のFC町田ゼルビアへと移籍したのは、シーズン後半の9月のことでした。23歳以下の若手選手だけが、所属元より下位のカテゴリーに所属するチームへ移籍する場合にのみ使える「育成型期限付き移籍」という仕組みを使いました。町田では移籍直後から12試合に出場し、すべてフル出場。3得点をあげてようやく浮上のきっかけを掴みます。わずか3か月の所属でしたが、「マリノスに戻る事になりますが、FC町田ゼルビアという素晴らしいチームで試合を積み、経験できたことを活かして、また一段と成長していきたいと思います。」というコメントを残し、ゼルビア町田のチームやサポーターへの感謝の言葉を残しています。

二度目のJ2移籍、アビスパ福岡での苦闘

プロ3年目の2017年は、再び横浜FMに戻り、心機一転の出直しを誓った仲川選手でしたが、残念ながらまたしてもレギュラーを奪うことはできません。カップ戦は4試合に出場したものの、リーグ戦はゼロ。待っていたのは前年以上に厳しい現実でした。

7月、今度はアビスパ福岡への期限付き移籍が発表されます。2年連続のJ2への移籍ということになりました。

ここでも移籍直後から、試合に出るチャンスを掴みますが、リーグ戦18試合と昇格プレーオフ2試合で、無得点という結果に終わります。とくに終盤に途中出場すると、スピードを生かしてチャンスを生み出すというパターンが目立ったのですがシュートを決めきることができませんでした。プレーオフでは、足の痛みをおして出場するも、やはり決定的なチャンスで仲川選手の放ったシュートは枠を捉えることができません。

結局、アビスパ福岡もあと一歩のところでJ1昇格を逃すという悔しい結果でシーズンを終えました。「あそこでチャンスを自分が決めていれば…」という悔しさを味わって、期限付き移籍は満了。プロ3年目が終われば、試合に絡めていない大卒選手は契約打ち切りとなっても不思議ではありません。福岡では出場機会を増やしていたことから、このまま横浜退団、福岡加入を予想していたファンも少なくありませんでした。

横浜F・マリノスへの帰還 運命を変えた新監督との出会い

しかし横浜FMで活躍したい、大怪我を負ってもプロ入りさせてくれた恩返しをしたい、と仲川選手は今一度、マリノスでのレギュラー争いに挑みます。
仲川選手がプロ入りした年から3年間チームを率いたエリク・モンバエルツ監督が退任し、新たにオーストラリア人のアンジェ・ポステコグルー監督が就任したばかり。シーズン前から序盤は、仲川選手は紅白戦にも出場できないことが珍しくありません。怪我も癒えていて、高卒まもない選手という事情もないのに、試合出場のチャンスをうらなう紅白戦にすら出られないというのは辛かったはずです。それでも自己管理に手を抜かず、準備と努力を怠らなかったことでついにチャンスがやってきます。

カップ戦で初めて途中出場の機会を得ると、がむしゃらに自慢のスピードでボールを追い回して、監督に好印象を残します。すると、リーグ戦でもベンチ入りを果たし、即途中出場。ついに出場4試合目(5月、磐田戦)では、待望のJ1リーグ初得点をマークします。味方選手がペナルティキックを相手GKに止められたところを、誰よりも早く詰め寄って叩きこんだものでした。こうした姿勢を大事にしてくれ、結果を出した選手を重用するのがポステコグルー監督のスタイルです。この試合が大きな分かれ目となって、それ以降ほぼ全試合に出場し、FWのレギュラーの一角を掴んだのでした。
ポステコグルー監督が目指す超攻撃的サッカーを実現するために、仲川選手の攻撃時の速いスピードと、ボールを奪われたとしても即時に奪い返すというプレスの速さという持ち味がぴったりハマったと言えるでしょう。
結局リーグ24試合で9得点。チームは失点が急増してしまい、残留争いに巻き込まれるほど低迷しましたが、仲川選手にとっては運命が大きく変わった1年となりました。

リーグ優勝、得点王、MVPへ上り詰めた2019年

2019年は、プロ入り後初めて開幕戦(G大阪戦)から出場し、ゴールも記録します。これで勢いに乗ったか、完全に自信を取り戻した仲川選手は驚異的なスピードでゴールを量産します。「令和Jリーグ初」となるゴール(広島戦)や、32節・松本戦では開始一分に虎の子となる先制点をあげるなど、勝利に直結する殊勲ゴールを連発したことも、仲川選手の存在感を不動のものにしていきます。
そしてついに横浜FMは15年ぶりのなる4度目のJ1制覇を達成。仲川選手はMVP&得点王(15得点)のダブル受賞という快挙を成し遂げます。年間を通じてチームの勝利にもっとも貢献したのは誰か?を考えると文句なしの受賞だったと言えるでしょう。入団から5年目、ようやくマリノスに恩返しをすることができたと仲川選手は胸を撫でおろしたのでした。

日本代表、初選出。悔しさの残ったデビュー

リーグ優勝の余韻が冷めやらない12月の韓国・釜山で行われたのは、東アジア選手権です。この大会で、森保一日本代表監督はJリーグで活躍する選手を中心に編成します。この年の仲川選手の活躍を見れば、選ばれないはずがありません。20代前半の五輪世代の時点で日本代表に選ばれる選手が少なくない中で、27歳での代表初選出は、まさに遅咲きです。また海外で活躍する選手たちが不在ということもあり、いきなり10番を背負ったのでした。
しかしこの大会、中国と香港に連勝したものの、宿敵の韓国には敗戦し、優勝を逃します。仲川選手の任されたポジションはシャドウストライカーで、普段の横浜で慣れ親しんだ役割とは大きく異なりました。それだけが原因とは言い切れませんし、もちろん激しいシーズンを戦い抜いた直後でコンディションがいいはずもありません。
ただ、それでも残った結果は、2試合に出場したものの思うようなプレーができなかった悔しさでした。

仲川輝人のプレースタイル・特徴

2019年、MVPにも輝いた仲川輝人の特徴とは。

一瞬のスピードを生かした飛び出し

相手DFの裏を取る一瞬の駆け引きと、加速時のスピードがJ最強のレベルにあることが、仲川選手の最大の武器です。160センチ前半と小柄だからこそスプリント力は爆発的で、たまらずユニフォームを引っ張ってしまう相手に警告が与えられます。「わかっていても止められない」と言われるまでの選手に成長しました。

仲川が好むタイミングに合わせろ

右のウィングという彼の圧倒的なスピードが活きるポジションを与えられたことで一層パフォーマンスが上がるという好循環に入っていきました。ゴールをあげるとともに、仲川選手は完全にレギュラーに定着、さらには後方からのパスも彼の動き出しに合わせたり、彼が好むタイミングで送られてきたりと、仲川選手のゴールから逆算したプレーをチームメイトが好んで行うようになります。同じ右サイドで後方から巧みなパスを送ってくれるのはサイドバックの松原健選手。仲川選手のスピードを信じて蹴り出す正確なパスは、度々相手を窮地に陥れます。

攻守の切り替えもとにかく早い 

ゴール前で落ち着いてプレーできるようになったこと、また加えて利き足ではない左足でのシュートを地道に続けたことがゴール量産の秘けつだったと選手本人も語っています。また仲川選手の飛躍のもう一つの理由は「積極的な守備」にありました。レンタル移籍をしていたころはなかなかできなかった、ボールを取られたとしても即座に奪い返す積極的な守備を見せるようになると、ボールやゴールへのこだわりが一層強くなったようです。もちろん、仲川選手がボールを再度奪えれば、そこは相手のゴール近くにいますから一気に得点のチャンスにもなります。当然、攻守の切り替えを高速に繰り返すと、疲労はどんどんたまります。それでも仲川選手は最後までハードワークを貫くため、監督やチームメイトからの信頼も厚くなっていきます。

活躍の秘密? ルーティンとゲン担ぎは「毛」にも及ぶ

そんなスピードあふれる仲川選手ですが、選手入場時はいつも最後から。どちらの足のスパイクを先に履くことなどいくつものルーティンがあるのは有名な話です。10人のチームメイトが、ウォーミングアップを終えて、ピッチ中央で円陣を組んで、さあ、気持ちを一つに!! というタイミングで、のそのそと円陣に加わる1名。遅れているのに慌てるそぶりもありません。ザ・マイペースなのが仲川選手です。
いつも同じオレンジジュースを飲む。ピッチにジュースは持ち込めないので、必ずペットボトルから水を口へ。テーピングは右・左と両方の手首に欠かさず巻きます。ソックスとスパイクは右から履くし、ピッチに入るときも決してラインは踏まずに、右足から。さらに天を指さす。などなど10項目以上に及ぶそうです。
さらにスピードにこだわる仲川選手らしいエピソードは、体毛を剃るというもの。首から下の毛を剃り落とす理由を「身体が軽くなる感覚があるから」と語ります。どんなに毛深い人であっても、体毛を削った程度では体重は変わりませんし、ユニフォームやソックスに覆われている場所ですから空気抵抗だって変わるはずはないでしょう。
本人も「感覚的」と認めているように、うまく行くイメージが大事で、それをもたせてくれる大事な儀式なのでしょう。

ご褒美の「GT-R」

スピードの速さから、ハマの新幹線、ハマのGT-Rなど様々な「速い乗り物」に例えられて呼ばれてきましたが、その論争に終止符が打たれたのが、2020年1月の「新体制発表会」です。
前年のMVPを獲得した直後から発していた「GT-Rに乗りたい」という仲川選手のおねだりにご褒美として、日産自動車がこの発表会の席上で仲川選手にサプライズでGT-Rをプレゼントしたのです。販売価格2千万円ともいわれ、仲川選手の背番号23が描かれた特注車でこれには仲川選手も大興奮でした。これ以降、仲川=GT-Rというのがファンの間でも定着したことから、日産としてもいい宣伝になったのではないでしょうか。(笑)

仲川輝人の今後について

仲川輝人の今後、どんな活躍を期待できるのか。

横浜F・マリノスについて

2021年も横浜FMの一員として戦うことが発表されました。MVPに輝いた2019年から一転して、2020年は怪我にも泣かされたシーズンとなりました。リーグ18試合2得点という成績には本人もまったく納得していないはずです。
下部組織で育った川崎フロンターレの独走優勝という結果を受けて、絶対にタイトルを取り返したいという決意とともに、新シーズンの戦いに挑みます。「今シーズン、怪我なくフルで活躍したいし、チームを助けたい。そのために得点、アシストという目に見える結果を出したい」と意気込みを語っています。H3 日本代表について
2019年末の東アジア大会以降、新型コロナウィルスの影響でほぼ代表の活動が制限されており、今後仲川選手が代表に復帰できるかは不透明です。得意とする右サイドハーフでの出場となると、久保建英、堂安律、伊東純也といった海外で活躍する強力なライバルに勝る必要があります。もちろん壁は厚いですが、仲川選手に可能性があるとすると、21年シーズンの開幕から本来の調子を取り戻したうえで、しばらくは国内組中心でW杯予選を戦うというようなケースではないでしょうか。まだまだコロナとの戦いが続く中ですので、昨年もコロナ制限下に国外でACLを戦った経験が活きるかもしれません。

移籍などの情報

今回、1月20日まで仲川選手と横浜FMの契約更新が発表されなかったために、ファンは随分とやきもきさせられました。ヴィッセル神戸や川崎フロンターレなど資金力のあるクラブが獲得を狙っていたとしても不思議ではありませんし、海外からのオファーがあったのかもしれません。その詳細は今後も明らかにはされないはずですが、本人は2020年のACL敗退(ベスト16)が悔しかったようで、このチームで来年再びACL優勝を目指すことを示唆していました。