サガン鳥栖の遅咲きの点取り屋。豊田陽平の経歴やプレースタイルを解説

「サガン鳥栖といえば豊田陽平」おそらく、ほとんどJリーグファンはそう答えるだろう。まさにサガン鳥栖を常に牽引してきた一人であり、サガン鳥栖を象徴するプレイヤーである。J1という日本のトップカテゴリーでコンスタントに得点を量産し、助っ人外国人が得点ランキング上位を占めるJリーグで一時は得点王争いまで繰り広げる活躍も見せている。

彼に苦渋を飲まされたチームも数多くあるだろう。

今回は「遅咲きの点取り屋・豊田陽平という漢」と称し豊田陽平が歩んできたキャリアからプレースタイルや挙げた成績にスポットを当ててご紹介していきます。同選手について調べている方は、ぜひ読んで見てください。

豊田陽平の適正ポジションはCFである。184㎝80㎏の日本人離れした体格を生かし前線にターゲットマンとして君臨しイーブンのパスでも味方にボールを確実につなげる。2列目がボールを持つタイミングで鳥栖のSH,SBはここぞとばかりに攻撃参加をする。サイドからのセンタリングを的確なポジションニングと鋭い飛び出しからゴールを決める。
また大柄な体格ながら足も早いのも特徴でありディフェンダーからすると一瞬も気が抜けない危険な選手である。
現在35歳になりベテランの域に達し円熟味を出す豊田陽平のプロキャリアは名古屋グランパスからスタートする。
彼の身体能力の高さを物語るエピソードがある。名門・星陵高校在籍時にはスポーツテストにおいて松井秀喜の記録を塗り替えており、山形所属時にはドログバをもじって「トヨグバ」という名前まで付けられている。
名古屋入団後、最初の方こそコンスタントに試合に出場していたが、3年目には徐々に失い出場機会を求め、2007年山形へレンタル移籍をする。
2シーズンの在籍ながら52試合17得点を記録し山形のJ1昇格に貢献しており北京オリンピック日本代表にも選出されている。
2009年京都に完全移籍を果たす。
4-5-1の1トップで開幕戦出場はするものの、戦術の適応に苦しみシーズン終盤にはベンチ外の日々が続いており、京都での最初のシーズンは21試合1得点の成績に終わる。
翌年2010年再起をかけサガン鳥栖へレンタル加入する。
開花した得点能力。名実ともに鳥栖のエースへ。
松本育夫監督率いるサガン鳥栖に加入した豊田。
2009年度の主力が大量に移籍し陣容が大きく変わった事もあり、4-5-1の布陣の1トップに抜擢されハードワークを全面に押し出す戦術にフィットした豊田は、このシーズン山形在籍時以来となる1シーズン13得点という二桁得点を記録している。
11/12シーズン
松本育夫監督の退任によりユン・ジョンファンが監督に就任する。
90分走り続けるハードワークに加え球際の激しさを求められるユン・ジョンファンのサッカーは豊田の身体能力を生かすのにもってこいの戦術だった。
昨年の主力が残留したことによりチームとしても戦術が浸透し、より豊田の能力を引き出せるサッカーを展開する。
ボールフォルダに素早くプレスをかけ、ボールを奪うと手数をかけず、サイドにボールを散らす。
SHの早坂・キムミヌはすぐさま豊田めがけてクロスを供給する。
またトップ下の池田は常に豊田をサポートし、セカンドボールの回収から、時にはつぶれ役に回り二次攻撃を促す。
この味方の献身的なサポートに豊田は見事答えてみせる。
J1昇格を目指す鳥栖は8月時点で7位に甘んじるが、そこから破竹の快進撃を見せる。
24節鳥取戦から16戦無敗を続け、最終節熊本戦に引き分け見事J1昇格を成し遂げる。
豊田は38試合23得点を挙げ個人としては初めてのタイトル「J2得点王」を獲得。
シーズン終了後、鳥栖に完全移籍を発表する。
数々のチームを渡り歩いた男はついに自分が輝ける場所を見つけたのである。

止まらない進化-鳥栖の豊田から日本の豊田へ

12/13シーズン
鳥栖の前評判は当然のごとく降格候補の筆頭である。
失礼な言い方かもしれないが選手の知名度も低く、予算の関係上大きな補強も出来ず、ましてや初めてのJ1挑戦と考えれば当然の評価である。
しかしこのシーズン鳥栖は豊田を筆頭にこの期待を見事に裏切ってみせる。
シーズン序盤こそはJ1のプレーの質、早さに苦戦するも徐々に適応してみせ、17節時点で10位で折り返す。
豊田も2節のジュビロ戦を皮切りにコンスタントに得点を量産し続け得点王争いまで食い込むようになった。
豊田自身もオフザボールの動き出しや決定力が昨シーズンに比べ確実に向上し、空中戦では無類の強さを誇っていた。
またエリア外からのシュートによるゴールも生まれ、ゴールパターンが増えたのもゴールを量産できた要因だろう。
そして豊田と言えば代名詞であるヘディングでのゴールが印象的であり、身体能力ばかりがクローズアップされるが、実はDFとの駆け引きが絶妙に「巧い」選手である。
外に膨らみながらのプルアウェイの動きもさることながら、クロスがくるまで何度も何度ポジション修正を繰り返し相手DFより先に落下地点、コースに走りこむ。豊田のゴールシーンを見返すと「なぜフリーなんだ?」という場面がいくつもあるほどだ。
もちろん、彼は代償無しに得点が奪えた訳では無い。ポジション柄マークの当たりもきつく、ファール覚悟で相手DFも彼を潰しに来る。
2012年度の「敵陣での空中戦回数」は486回にも及び断トツの1位である。2位の265回の2倍近くの数字だ。
ダッシュと同じくらい消費するジャンプの動作をこれだけの数をこなすのは並み大抵の事ではない。
それと同じく被ファール数も99回と2位の78回にくらべ、こちらも突出している。
これらのデータを見る限り、単に「身体能力の高いから簡単にゴールが奪える」という図式は成り立たない。
身体能力の高さを上手く活かし、巧みな動き出しでゴールを決める。
「強さの中に巧さあり」これが豊田陽平を表す最適な言葉である。
自分のプレーを確立させた豊田は、ストライカーとして着実に成長を遂げていた。
12/13 33試合出場19ゴール1アシスト(個人)ベストイレブン 得点ランキング2位
13/14 33試合出場20ゴール4アシスト(個人)ヘディングによるハットトリック 史上4人目
                      日本代表初選出 得点ランキング4位
14/15 34試合出場15ゴール2アシスト(個人)J1 3年連続15ゴール 史上4人目
                                                                                     日本代表初ゴール
15/16 29試合出場16ゴール2アシスト(個人)J1 4年連続15ゴール 史上2人目
16/17 33試合出場13ゴール3アシスト(個人)J1 5年連続二桁得点
まさにJ1昇格後はサガン鳥栖にとっても豊田にとっても初物尽くしだった。
降格候補だった下馬評を見事覆し、J1初年度は5位という成績を残す。
2020年度現在九州のJリーグチームでは最長のJ1連続在籍期間である9年目を迎えている。また、豊田自身もJリーグベストイレブン選出を果たしリーグ戦でも常に得点王争いに食い込む活躍が認められ初の日本代表まで選出されている。
我慢の時期を乗り越え精神的支柱でチームを鼓舞
ユンジョンファン監督の退任後フィッカデンティ監督が鳥栖に就任する。
守備を重点に置く戦術を得意にする監督で、今までの鳥栖のスタイルを一新するものだった。
このシーズンより豊田の出場機会が減少していく。
もちろん監督が目指すスタイルにフィット出来なかったのも大きな要因の一つだが、鳥栖に大口のスポンサーがついたこともあり、積極的に選手補強に打って出る。
ビクトルイバルボ、チョ・ドンゴンなど豊田と同じCFを補強したことにより豊田の序列はどんどん下がる一方だった。
結局17/18シーズンは5ゴール2アシストに終わり、常に二桁得点を記録してきた豊田にとって不本意な年だった。
迎えた18/19シーズン。豊田は大きな決断をする。韓国・蔚山現代へのレンタル移籍を決断である。
サガン鳥栖クラブHPを通じて豊田は、クラブ、サポーターへの感謝と共に、自分自身を見つめなおし、プレイする喜びを取り戻したいと移籍を決めた理由が書かれていた。
「全ては鳥栖の為に」「これだから鳥栖はやめられない」
公の場で鳥栖へのチーム愛を協調する言葉を残してくれた彼が移籍を決断するのは、簡単なことでは無かっただろう。
豊田不在でシーズンを迎えるのが違和感を覚える人も、いたんじゃないだろうか。
背番号11が不在のまま鳥栖は新しいシーズンを迎える。
しかし梅雨真っ只中の6月を迎えるころ、こんな記事が紙面を賑やかせていた。
「蔚山現代FW豊田 鳥栖復帰」である。
このシーズンの鳥栖は6月時点で3勝4分8敗 勝点13という成績で自動降格圏内の17位に低迷していた。前線の主力にケガが相次ぎ、チーム総得点が15試合で14得点と深刻な得点不足に陥っていたのだ。
後の話になるが鳥栖は夏に豊田に続きF・トーレス、金崎夢生を獲得するも
このシーズンの鳥栖は各ポジションの名だたる選手がいながらもその特徴を活かしきれなかった印象がある。
また10月にはフィッカデンティと契約解除し金監督が指揮している。
結局、鳥栖は最終節でJ1残留を決めるが、豊田はシーズン0ゴールに終わり、鳥栖に所属して以来初めての事であった。
19/20シーズンが開幕したが豊田の序列は変わることはなかった。
チーム状態も一向に改善せず、F・トーレスを活かすチームにする為、スペイン人指揮官カレーラスを招聘するが、10節終了時点で1勝1分8敗 勝点4 総得点1 最下位 という昨シーズンよりも深刻な状態だった。
5月にカレーラス監督が退任し、昨年に引き続き金監督が再登板する形となった。
これが豊田にとって好転するキッカケとなる。
「金監督が、正しい競争を現場に戻してくれました」
ある記事で豊田がそう語っていたように、色々なチーム事情があったかもしれない。
鳥栖復帰後も腐ることなく全力でトレーニングを続けていた豊田を金監督は再登板ホーム初戦で先発起用する。
1点リードした鳥栖は72分クエンカのクロスが相手のハンドを誘いPKを獲得する。
キッカーは豊田。見事左隅に決めてみせ、実にJ1では623日ぶりのゴールである。
ゴールパフォーマンスはおなじみの「トヨコプター」にスタジアムが歓喜の輪に包まれる。
次節広島戦にも勝利した鳥栖は、ホームに鹿島を迎え3連勝を達成するべく、この日もスタメンに豊田は抜擢される。
試合は拮抗し、互いに決定機を決められないまま90分が過ぎAT4分を迎えようとした時である。
高橋義希のスルーパスに抜け出した小野がすぐさま中に折り返す、待っていたのは豊田。
難しい浮き球のクロスを見事抑えて鹿島ゴールに叩き込む。
ゴールもさることながら、この動き出しこそ「ザ・豊田」である。
その後も豊田は22節セレッソ戦95分に逆転弾、28節東京戦の同点弾を決め、チームに勝利をもたらすのである。
19/20シーズン豊田はリーグ戦26試合出場4ゴール2アシストという結果だったが、彼がゴールを決めた試合は負けなしでありその内の3得点は85分以降と苦しい時間帯での決勝点だった。
思えば、ここ最近の鳥栖は苦しい状況でも得点という結果でチームを鼓舞してくれる彼のような存在がいなかった。
迎えた最終節清水戦には敗れたが、他力本願ながら無事J1残留を果たすものの、チームの立て直しは急務となるのは誰が見ても明らかだった。
あえてポジティブに考えるならやはり鳥栖には豊田が必要だと再認識するとともにチームの方向性を見つめなおすいいキッカケになったシーズンだっただろう。

目指すは史上16人目のJ1通算100得点

豊田陽平はある記録達成まであと2ゴールと迫っている。
Jリーグが開幕して30年になるがまだ15人しか達成してないJ1通算100得点という記録である。
達成者の中には、三浦知良、中山雅史、大久保嘉人といった日本を代表するエースストライカーが名を連ねている。
J1リーグ戦も8試合残されており、記録を達成できる可能性は十分高いだろう。
もちろん試合にコンスタントに出場することが前提となるわけだが、シーズン初めから指揮を執る
金監督のサッカーに適応できるかがカギとなる。
金監督は本来の攻守にアグレッシブな鳥栖のサッカーをベースにGKを含めたDFラインがビルドアップに参加し局面局面でポゼッションとロングボール使い分ける戦術を目指している。
しかし今期の鳥栖はスポンサー離れが加速し、財政難に陥り一時は存続までも危ぶまれた。昨年の主力の半分以上が移籍しユース出身者や大学生、新加入選手の顔ぶれが目立つチーム編成となった。
選手の特徴を把握する事から、戦術の落とし込みまで課題が山積みの中で、鳥栖のサッカーを知る豊田がいることは指揮官にとっても頼もしい存在だろう。
ここで一つ、金監督と豊田の信頼関係の深さを表すようなシーンがあったのでぜひ紹介したい。
あくまで筆者の主観によるものなので軽く聞き流す程度でお願いしたい。
2020年11月8日に行われたJ1 11節 ベガルタ仙台戦 試合前の監督インタビューでの出来事である。
この日、豊田が先発に名を連ね、記者が「先発の豊田選手に期待するものは何ですか?」
すると金監督は即答で「得点です!」ときっぱり答えたのだ。
これはスポーツあるあるなのだが、よくベテランの選手起用に関して「経験が」「若手にとっていい見本」などの、気持ち面での役割しか期待してないようなコメントをよく見かける。
もちろん、若手が多いチームや、苦しい状況の時冷静に物事を見極められるベテランの経験値は、
チームに落ち着きと自信を与えられる素晴らしいものである。
豊田も35歳になりサッカー選手としてはベテランの域であり、そのような役割も求められているのかもしれない。
しかし金監督は「得点」という目に見える結果を求めたのである。
「豊田はまだやれる」「豊田は終わってない」そんな期待の裏返しともとれる言葉だった。
そしてもうひとつあるのだが、この日の仙台戦の後半65分本田の3点目のシーンである。
ペナルティエリア内の林に本田がダイレクトで縦パスをいれ、それを林が豊田へパスを送り、豊田と相手DF,GKと交錯し、そのこぼれ球を本田が押し込み追加点を奪う場面なのだが、相手DF、GKと交錯した豊田はピッチにうずくまり立てないでいた、すると金監督が「トヨ!トヨ!ナイスだ!トヨ!ナイス!」と叫んでいたのだ。
殊勲のゴールを挙げた本田よりつぶれ役にまわった豊田に声をかけたのである。
実は金監督と豊田はサガン鳥栖の初のJ1昇格を共に成し遂げたチームメイトでもある。
選手時代を共に過ごした仲間だからこそ、豊田の凄さや人間性のすばらしさを一番よく知る人物だ。
もしかするとサポーター同様、豊田陽平の復活を心待ちにしている一人なのかもしれない。
豊田も35歳を迎えるが、まだ老け込む歳じゃない。
チームメイトには39歳の梁勇基もいる、世界を見渡せばサンプドリアのクアリアレッラやアヤックスのフンテラールもトップリーグで現役でプレーをしている。
11月に入り佳境を迎えるJリーグ、偉大な記録達成間近の豊田陽平から目が離せない。
終わりに
いかがだったでしょうか。
不器用ながら豊田陽平について執筆させて頂きました。
筆者自身も鳥栖の為に戦う彼の雄姿を目の当たりにし、彼の魅力に取りつかれた一人でもあります。
この記事がキッカケで、豊田陽平について少しでも興味を持っていただけたらうれしいです。

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